2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

中学1年生の部 優秀賞

時代の変化
神奈川県立相模原中等教育学校
石井 カンナ

 私が選んだ記事は、今と昔の暮らしの変化や言葉の変化についてです。今は当たり前のことが昔とは違い、世代間のギャップを感じるという内容でした。
  いくつか、この記事に載っているものを紹介すると、今や当たり前のデジタルカメラも昔は、フィルムカメラだったといいます。そして、現在ではなくなったものもあります。昔は、アルバムに卒業生全員の住所、電話番号が書いてあったということです。今は、プライバシーや個人情報保護法の問題があり、そういったことはなくなっています。
  私も、今と昔の違いで、一つ体験したことがあります。それは、ある日、私が携帯電話で駅から母に電話をかけようとしたときのことです。その日はたまたま、携帯電話を持って出るのを忘れてしまい、しかたなく、公衆電話を使うことにしました。しかし、それまでに一度も公衆電話を使ったことがなかった私は、使い方を知りませんでした。なので駅員さんに使い方を聞き、母に電話をかけることができました。思い返してみれば、今までに私は、家の電話と携帯電話しか使ったことがなかったのです。この体験も、携帯電話が主流となっている今と、そうではなかった昔の違いを感じさせるものだと思いました。
  この記事を読み、関心を持った私は、母に、今と昔では何がどんなふうに変わっているか聞いてみました。その中で、私が聞いて一番驚いたのは、制服についてです。今の女子中高生は、スカートを短くする子たちが多いと思いますが、それとは対照的に、昔は丈が長いスカートが一般的だったそうです。もう一つは、お正月についてです。今では、コンビニやスーパー、デパートなどはお正月でも開いてますが、昔のお正月の三が日はお店がほとんど開いていなかったために、町にはあまり人がおらず、閑散とした雰囲気だったそうです。なので、お正月にはおせちを作り、親戚の家に新年の挨拶に行ったり、カルタや凧上げで遊んだりする人が多くいたようです。
  この記事をきっかけに、私は母と昔のことについて話し、二十五年ほどしか時がたっていないのに、いろいろな違いがあることに気付き、話していてとても楽しく、タイムスリップしたような気分になりました。そして、自分の今生きている時代の物や生活習慣が当たり前のように感じていましたが、ほんの何十年の間でも、大きく時代は変化していることが分かりました。
  この記事の中では、今あるものや生活がすべてで、昔のことを否定する人もいるようですが、私は、逆に興味を持つことができました。昔は時間の流れに余裕があったように感じられ、うらやましく思います。そして、今は当たり前のことでも、私が大人になった時に、変化しているかもしれないと思うと、とてもワクワクした気持ちになりました。

課題1(読売新聞 8月19日付)


脱原発デモの記事から
湘南白百合学園中学校
石山 咲

 この記事から感じたことは、国民の思いの強さです。それは、この運動に集まった人数(一万四千人)でもはっきりと分かりますが、そのうち十七パーセントの人は「人づて」で集まったという事実に最もよくあらわれていると思います。また、最初は少人数から始まったデモが、大きく報道されたわけでもないのに、それぞれが様々な場所から情報を得ようと、アンテナをのばしていたことによって、一万四千という多大な人数が集まったのです。これは、本当におどろくべきことだと思います。
  同じ日の新聞に、政府がエネルギー政策について開いた意見聴取会の記事もありました。そこで出された意見の集計によると、原発ゼロを支持する人は全体の7割を占めたそうです。
  この二つの記事からも分かるように、本当に原発に反対している人は多いのに、なぜ政府は原発をなくそうとしないのでしょうか。以前政府は原発をなくす方向ともとれるエネルギー政策見直しの方針を述べて、その後はなしくずし的に大飯原発が再稼働してしまいました。それは選挙での影響を考えているからではないかと推測されます。そうなのであれば、自分たちのことしか考えていないということです。政府は国民のことを第一に考え、国をより良くしていくためにあるものです。それなのにこれでは外側から内を守っているだけで、何のためにいるのか分かりません。また原発にたずさわっている人々にとって、停止や廃止は生活を左右することです。反対したくなるのも無理もないといえます。自分たちに良い影響のあるものは、多少の欠点にも目をつむってしまうものです。そのことを、私はこの夏、横浜地方裁判所主催の裁判セミナーに参加して身をもって体験しました。立ち位置によって見え方は大きく変わるのです。刑事裁判の場合、容疑者に対してうったえる側の検察官と、味方になる側の弁護士とでは、見え方やその人への考え方も全く異なります。それと同じように原発の存在によって利益を得る人にとっては、原発の恐ろしい面には目を向けずに、むしろなくなっては困る、という気持ちが強くなるのでしょう。原発にたずさわる人々も、原発に反対する人々も同じ日本国民です。ですから、これこそ政府が「国民のことを第一に考え」解決方法を見つけだすべき重要なポイントだと思います。
  昨年三月十一日の地震は様々なことを教えてくれましたが、なかでも原発の恐怖は際立っていました。私自身、自分の生活の中心に電気があり、それをつくっているものは何なのか、どういったしくみで私たちに供給されているのか、考えたことはありませんでした。あの日起きたことは悲しいことばかりですが、犠牲になった人々のためにも、得たものはきちんと今後に生かしていかなければなりません。原発が生む多大な被害を考えたら「やめたほうがいい」と感じるのが普通の人の感覚です。原発を建てる場所の条件として「人口密集地から離れた場所」というものがあるというのを、社会の授業で知りびっくりしました。建てる人も、日本に導入することを決めた人も、みんな危険なものであることを分かっていたはずなのに、なぜ良い面しか見せなかったのでしょうか。政府は一番大切な自分たちの役目をきちんと思い出すべきです。人々の健康や安心をおびやかすものを許すべきではありません。原発は時間をかけてもゼロにしていくべきだと思います。

課題1(朝日新聞 7月30日付)

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