2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

小学5年生の部 入選

新聞から戦争を学ぶ
秦野市立南小学校
大瀧 ミチル

 八月十五日発行の子ども新聞を見ると、「戦争 子どもも苦しむ」と大きな見出しがのっています。それは戦争でたくさんの人が苦労をしていたという記事です。ぼくと同じ年頃に、空腹をまぎらわすために草をしゃぶった人や、お小づかいで買った腸の薬でがまんした人がいました。その人たちは今は約八十才です。だから、ぼくの祖父母も同じ様な経験をしているのではないかと思い、話を聞いてみました。
 祖母はその頃八才で、新潟の田舎にいました。八月十五日の昼頃、天皇陛下が終戦を伝えたそうです。終戦後も食料や生活用品がなくて、貧しいくらしをしていたそうです。
 この新聞の一面には、当時のポスターものせていました。それは生命保険のポスターなのですが、そこには兵隊の格好をした子どもが笑っている絵がかかれています。これを見てとても違和感を覚えました。なぜなら、戦争中で大変こわく苦しい時代の中でこの子たちはみんな笑っているからです。
 新聞にはこのポスターの説明として、次のように書かれています。
 「この時代、男の子は大人になったら兵隊になり、国のために死ぬことが立派な生き方だと教えられていました。」
 ぼくは、とてもこわいと思いました。食料もなく貧しい中で生きることが精一杯であることに加えて、子どもも大人になったら戦争に行かされてしまうからです。国のために死ぬことが美しいことだ、とまで教えられています。それにくらべて今は幸せだな、と思いました。おいしいものを好きなだけ食べられるし、自分のしょう来は自分で決められます。
 終戦記念日には、テレビでも戦争の話題を放送しています。テレビは手軽に情報を得ることができますが、テンポも速く深く考えることがしにくいと思います。今日ぼくが読んだ新聞は、カラーで印刷されていて絵も写真も多く、分かりやすいです。文章も、小学生向けに読みやすく書かれています。テレビとちがって、自分のペースで物事をじっくり考えられます。また、何度もくり返し読めて便利だと思います。
 これからもたくさん新聞を読んで、世界で起こっている様々なことを知り、そのことについてじっくり考えてみたいです。

課題(1)(読売KODOMO新聞 8月15日付)
「戦争 子どもも苦しむ」


選挙について考えたこと
横浜市立丸山台小学校
山田 夏大

 参議院選挙が終わった後に、この新聞記事を読みました。この選挙に対し、小学校の先生を勤めた作家の乙武洋匡さんは「多様な人が活躍できる社会にすることで日本を活性化できる。」と語っていました。しかし、今の社会は自分の考えが一番良いと人におしつけ他の人の考えを認めないという考えが多い。今の日本の学校では、一つの答えを考える授業が中心で答えのない問題を考えるという経験が少ない。答えのない問題を考えることで多様な人を受け入れられる社会を作っていける、ということです。
 そこで、私の学校の授業を考えてみました。私のクラスでは、意見を出すとにきには、たくさんの人が手を挙げることができています。それほど同じクラスの人が「私の意見はみんなどう思うだろう。」などという気持ちがあるからだと思いました。そのうえ一つの意見だけではなく様々な意見が出されます。だから、「あ、こういう考えもあったのか。」や、「私の意見はこういうところがいいよ。」などと話し合いとして良いものになっていきます。
 ただいつも、このように良いものになることばかりではありませんでした。
 私は新学期にクラスで今年のめあてを決めたとき、私の意見と他の人の意見が違っていました。しかし私は私の意見が一番良いと思っていたので、他の人の意見にあまり耳をかたむけませんでした。そのため、長所をアピールしたり、議論ができませんでした。自分の意見に感心する人は少なかったです。
 このことは、自分の意見を他の人に聞いてもらいたいときは、他の人の意見も同じように聞くことが大切だと気がつきました。これは、貴重な体験になりました。
 選挙とはそれぞれの政党の立候補者が自分の意見を主張したものを市民が投票するものです。だから、未成年の人も選挙に参加できれば自分の考えとは違った意見を聞く機会になるし、子供の視点から考えた意見を大人に聞いてもらえるチャンスになるのではないかと思いました。

課題(1)(朝日新聞(夕刊)7月19日付)
「ここに注目! 2013参院選」


「マララさん国連で演説」を読んで
湘南白百合学園小学校
加藤 美那

 わたしは朝日新聞一面の「マララさん国連で演説」と関連記事に関心を持ちました。初めに感じたのは、「女の子がなぜこんなに強くなれるのだろう!」というおどろきでした。
 マララさんはパキスタンで武装せい力にじゅうで頭をうたれました。勉強することへの夢や希望を教える活動のせいです。また、ユネスコの調査でパキスタンは三百万人以上の女の子が学校へ通って勉強することができないことも知りました。
 日本ではだれでも学校へ通って勉強ができますが、世界にはそれができない女の子がなんて大勢いるのか。そしてマララさんの勇かんな行動やうたれても相手を許し、教育を受けるけん利を訴えることをやめなかったことはなんという強さか。今イギリスで学校に通うことができてうれしい気持ちですが、勉強することのできない女の子がまだまだいると思うととても悲しいです。
 マララさんはとても勇気のある強い人です。私はマララさんを強くするものは何か考えてみました。それはきっと学校へ通って教育を受けたいと願うマララさんの情熱の大きさにちがいありません。わたしはこの記事を読むまで教育が自分を強くするものだと考えたことはなかったので、目の覚める思いがしました。
 新聞を通してわたしがいろいろな事を知りたいと思うのと同じようにマララさんの知りたい、学びたいと思う気持ちが理解できます。
 新聞は文字さえ読めれば一字一字確認しながら自分のペースで読めるので、親切で分かりやすく情報を知ることができる便利な手段だと思います。この新聞記事を読めること、つまり教育を受けられることが幸せなことなのだということをマララさんの記事はわたしに教えてくれました。
 わたしの夢は得意なスポーツを通して人の役に立つことです。そのためにマララさんの「本とペンを手にとろう。それが一番強い武器。」という言葉の通り、子どものわたしは勉強をがんばって、夢や希望をかなえられる人になりたいです。

課題(1)(朝日新聞 7月13日付)
「マララさん国連で演説」


アイヌ民族、ともに生きる
湘南白百合学園小学校
越智 薫子

 「はい、ポーズ。」わたしは、今から五年前北海道へ行ったとき、阿寒湖でアイヌのはちまきをして記念写真をとりました。そして、ニポポという木彫りの置物をおみやげに買ってもらいました。そのとき、北海道の先住民族にアイヌと呼ばれた民族がいることを知りました。この、「アイヌ民族、ともに生きる」の記事を読んだとき、アイヌ民族への差別についてよりくわしく知ったので、おどろきました。
 何も悪いことをしていないのに、ただアイヌの家族に生まれただけで、「アイヌなのによくできた…」などと心ない言葉を投げかけられるのは、とてもつらいことだと思います。また、奨学金や就職の支援など、北海道内であれば受けられるものが、道外ではまだ国の支援が十分に整っていないそうです。そのため、差別をおそれて、アイヌ民族であることを内緒にしている人は四割もいるそうです。
 このことを知って、わたしはまず、アイヌ民族についての理解が必要だと思いました。あまり深く知らないのに、少し聞いただけでとか、雰囲気だけを信じて差別をする側になってしまうのは、一番いけないことです。今まで、差別に耐えながらアイヌ民族の文化を守ってきた人たちの努力をこれからの時代に伝えていくことも大切なことです。過去の間違いは消すことはできないけれど、それを反省して、未来はいろいろな形につくることができます。
 地球上の人々はみんな平等です。アイヌ民族の歴史に似た差別は、もしかしたら、わたしの知らない所でたくさんあるかもしれません。民族だけでなく、実はわたしの近くにも差別があるかもしれません。それは気付かないくらい小さな差別かもしれません。わたしは人のいやがることを言わないのはもちろん、どの人も自分と同じくらい大切だと思って、決して差別をしない優しい人になりたいです。そして、アイヌ民族の差別もなくなって、国の支援も早く整うといいと思います。わたしが覚えているアイヌ民族のはちまきはきれいな色のししゅう模様でした。これからも多くの人があのはちまきを美しいと思ってもらいたいです。

課題(1)(朝日小学生新聞 6月7日付)
「アイヌ民族 ともに生きる(下)」

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