2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

小学6年生の部 優秀賞

「オオカミ少年」のようにはならない
平塚市立八幡小学校
小川 龍也

 その時ぼくは、あるスポーツショップで母と買い物をしていた。店内をブラブラしていると、突然、耳ざわりな音があちこちから聞こえてきた。この音には聞き覚えがある。とても不安になるイヤな音だ。それは緊急地震速報を伝えるアラーム音だった。アラーム音は店内にいる人達それぞれの携帯電話から鳴り響いて、輪唱のように聞こえた。「地震が来る!」。東日本大震災の記憶が頭にうかび怖くなった。不安な気持ちを押さえる事がせいいっぱいだった。…が揺れない。周りの人達も不安な様子でザワザワしていたが、いつまで待っても地震は来なかった。
 訳が分からないまま家へ帰りテレビをつけると、丁度そのニュースをやっていた。誤報らしいという事がわかり、ようやくホッとしたもののなんとなく気になってしまい、翌朝何か載っていないかと新聞をめくり、この記事を見つけた。
 そこには「『奈良で震度7』誤報」と大きく書かれ、観測機器の誤算で34都府県もの広い地域に間違った速報が流れた事やその誤報で交通機関などに大きな影響が出た事などが載っていた。その中でぼくが注目したのは、気象庁の謝罪会見の一部が記された文面だ。「こうした事が続くと速報の信頼を損ねる事になる」。確かにそうだと思う。今回ぼくは、アラーム音を聞いて震災を思い出し身構えることが出来た。だが、誤報が続けばどうだろうか。ふと、頭の中に童話の「オオカミ少年」の話が浮かんだ。少年のたび重なるウソに村人達は無反応になり、羊を食べられてしまった。ぼく達は何度誤報が出てもこうなってはいけないのだ。
 記事の続きで、気象庁の人は「再発防止に努めるので、今後も速報が出たら身の安全を確保する行動をとってほしい」と呼びかけていた。ぼくはその言葉の通り、緊急地震速報が出た時はいつでも、今回と同じようにきちんと対応しようと思う。そして「オオカミ少年」の結末のようにはなってはならないと強く思う。

課題(1)(読売新聞 8月9日付)
「『奈良で震度7』誤報/緊急地震速報」


「奪われた青春 取り戻す」
川崎市立南百合丘小学校
小泉 文

 私は、八十三歳で高校生の上中別府チエさんの記事を選びました。なぜかというと、八十三歳になっても勉強したいという意志を持てることがすごいと思うし、それで本当に普通の高校へ行って、十六、七歳の子供と過ごせるというのもすごいと思ったからです。
 チエさんの学生時代は、空襲に備えた訓練やなぎなたの練習などで勉強どころではなかったそうです。戦争末期には授業はほとんどなく、飛行場を作るために働きました。女学校に進学したくても、生活が苦しくてあきらめるしかありませんでした。結婚して子供を育て、そして九年前に夫が亡くなった時、「学校で英語を習いたい。」と思ったのだそうです。七十六歳で夜間中学に入学し、七十九歳で高校生になりました。
 勉強の成績も良く、部活も華道部、書道部、軟式野球部と三つの部をかけもちして、充実した高校生活を送っているチエさん。記事の大見出しには、「奪われた青春取り戻す」と書いてありました。
 この記事の中で「勉強は何歳になってもできます。」とチエさんは言っています。確かに何歳になってもできるけど、それはチエさんが進学したい、勉強したいと思う気持ちをあきらめなかったから出来るのだと思います。
 どんな夢も、あきらめてしまったらそこで終わってしまいます。そのとき生活が苦しくてかなわなかった夢も、ずっと心に思っていれば、いつか実現することが出来るのだなと思いました。
 私は、保育園から小学生になり、これから当然のように中学生、高校生となっていくのだと、自分の目の前に続く道を今、もうなんとなく見ることができます。でもチエさんの時代の子供達はそうではなかったのです。そうして、苦労して日本を支えてくれた人達の努力があったから、今の私達の生活があるのだなと思いました。
 もし、戦争がなくて、十代の頃にチエさんが私達と同じように学校へ通い、勉強できていたら、チエさんの人生は、今と違うものになっていたでしょう。私達は、学校に通って勉強できることや自由な時間を持てることを大切にして、自分の夢をかなえるために努力していくべきだと思います。

課題(1)(朝日新聞 8月13日付)
「奪われた青春取り戻す/『学びたい』83歳の女子高生」

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