2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

小学6年生の部 入選

環境にやさしい地球を目指して
横浜市立藤が丘小学校
福谷 恵麻

 もしも私が記者だったら、環境問題について書きたいです。理由はみんなで世界の環境問題を解決するには、どんな環境問題が今おきているのか知っておかないといけないからです。
 私は環境問題の記事を書くとしたら、まずはツバルを取材します。最近は先進国が大量の石油を消費しているので二酸化炭素が増えて地球温暖化が進み、海面が上昇しているのでツバルは沈んでしまうかもしれないからです。この問題は日本にも大きく関係していると思います。なぜなら日本も世界でみれば、石油を多く消費している方だからです。しかし、ツバルは小さな島なのでそんな石油を多く消費してはいないと思います。前にツバルの子どもたちの宝物について書いた本を読んだことがありますが、その子供たちはツバルの美しい風景を宝物のように大切に思っているそうです。たとえばきれいな日の出、真っ青な海など。でもこのままではこのツバルの宝物がなくなってしまいます。これはツバルの人たちの責任ではなくて私たち先進国の責任だと思います。だから難しい問題だけれども、先進国の私たちが解決しなければいけないと思います。
 次に取材したいことは、酸性雨についてです。酸性雨は森林や農作物を枯らしたり、石像をとかしたりもしてしまいます。日本でも降ることがあり、ヨーロッパなどでは深刻な被害が出ています。酸性雨は、工場から出る煙や自動車の排気ガスによる硫黄酸化物や窒素酸化物の増加が原因でおきています。
 世界ではこの2つ以外にもたくさんの環境問題があります。環境問題は私達人間が起こしたものです。ですから私たちが解決し、もとの状態に戻さなくてはなりません。だから私はもし自分が新聞記者ならば環境問題などをたくさん取り上げて一般の人々に知ってもらいたいです。

課題(2)


やさしさの心
川崎市立南百合丘小学校
三好 希杏

 私は、この記事を読んで、とても心が温まりました。見ず知らずの人を助けようと協力しあって救出、改めて日本は素敵な国だなと思いました。このニュースは、外国人にも注目されていて、「感動した。」と絶賛されているそうです。出来事を知った人が影響を受けたら良いなと思いました。
 落ちてしまった女性を助けるために協力した人たちはどんなことを考えていたのかな、と思いました。私は、転落した人や駅員の気持ちを考えていたのだと思います。もし自分が困っている立場だったらどうするか考えてみました。落ちていたら身動きがとれないので、助けを求めるしか出来ないし、駅員だったら助けたくても力が足りなくて大変きびいしいとしか言いようがありません。そんなときに、自ら協力してくれる人がいたら、すごく助かるはずです。きっと、手伝った人たちは、自分のことばかりではなく、人のことを考えられたのだと思います。
 では、私が乗客だったら、困っている人に何かすることは出来るでしょうか。はっきり言うと、自信はありません。この出来事にかぎらず、困っている人を見かけても、力になれるかどうかとても不安です。転落した女性の救出にかかわった人たちは、普段から親切なのだろうなと思いました。私も生活の中で、ささいなことでもやさしさを心がけていたいです。そして、だれからも親切だと思われるような、役に立つ人になりたいです。
 約四十人もの見知らぬ人が自分を助けてくれたなんて、救助された女性は不幸中の幸いだと思いました。しかも、自分の都合もあり、電車が遅れて迷惑な人もいるはずなのに、救出されたときは、自分のことのように喜んでくれるなんて、だれが読んでもやさしい気持ちになれる記事だなと感じました。
 私は、この記事を読み、人の立場を考えることが出来ました。自分のことでさえ手が回っていない自分だけど、周りに気を配れたら良いなと思いました。私の近くで困っている人がいたときにどのような対応が出来るか分からないけど、みんなにやさしさの心を忘れず、人の気持ちを考えて接したいです。

課題(1)(読売新聞 7月31日付)
「電車押す輪 自然と」


戦争とわたしたち
二宮町立二宮小学校
大楽 智乃

 私は、戦争の話を小さい時からおばあちゃんに聞いていました。でも、くわしくはおぼえていません。そんな時、久しぶりに神奈川新聞を読んでいた私の目にわが人生というコーナーの記事が飛びこんできたのです。その見出しは、「空襲で学校が焼ける」でした。空襲がきた場所は、私の住んでいる神奈川県ではなく、神奈川県に接している山梨県でした。
 国内の主要都市をねらって空襲がきていて、人々は毎日空襲におびえていました。夜でも空襲を知らせるサイレンが町中に鳴りひびいていたということを考えると人々は安心してねむれなかったのではないでしょうか。一九四四年の七月六日。今まで空襲が少なかった山梨県にも外国の飛行機が空襲を知らせるサイレンの音をかき消すほど来たそうです。その村は、炎の海にのまれ、家をなくした人々も多くいたそうです。このころ、私の住む神奈川県にも横浜大空襲がきたそうです。村や町が焼け野原になり、学校も焼けてしまうなんて、学校が好きな私にはとても悲しいことです。こんなことになっていたなんて今では想像がつきません。
 新聞のたった一つの小さなコーナーから戦争のひさんさ、悲しみがうったえられていて、とても悲しくなりました。戦争と今を関係ないと思う人が多い今の時代に住んでいる私達は、昔の人より苦労が少なく、とても楽で平和な生活をしています。それは、昔の人々がこれだけ悲しい戦争という出来事を経験し、次の世代へ戦争のことや、平和が大切だということを受けついでいき、町をふっこうさせようとした努力があったからではないでしょうか。なので、私達は日本人として昔の戦争とつながりがあるのです。私達はとても幸せだということ、戦争で死にたくないのに亡くなった人が多くいるので今を一生けん命に生きることをこの記事から教えてもらいました。私も大人になり、子どもができたらこの話をして、戦争のことを忘れないようにしようと思います。

課題(1)(神奈川新聞 7月5日付)
「わが人生/空襲で学校が焼ける」


見えない所の環境
横浜市立東品濃小学校
尾鷲 あみ

 私は今年の夏に、沖縄県の石垣島へ旅行に行きました。丁度、この新聞が届いた一ヶ月後くらいです。私も石垣島で海に入って来ました。そこには本当に、別世界が広がっていました。大きさ、色、形の異なるたくさんのサンゴたち。また、魚たちも大小さまざまでした。目の前を泳いでいたり、近づくとすぐサンゴにかくれる魚もいました。日光があたってうろこが虹色に光っている姿は、なんとも感動的でした。三十センチメートルはありそうな巨大な魚を追いかけたりもしました。
 少しつかれたと思ったので、サンゴをよけて立っていました。ここは水深一・四メートルくらいなので、百五十センチの私でも立っていられました。しばらく歩き回っていると、「ガリッジャリッ」という砂ではないような感覚がしました。水中メガネで見てみると、なにやら白く細長いものでした。父に聞くと、「それはサンゴだよ。」と教えてくれました。私は、「え? サンゴ? どこがサンゴなの? 私たちがさっき見たサンゴは水色とか、黄色っぽかったよ。白いサンゴなんかなかったじゃない。」と言いました。すると父は、「これは全部死んでしまったサンゴなんだよ。」と言ってくれました。そこで私はやっとこの新聞記事を思い出しました。
 私は、地球温暖化は知っていました。しかし、地球温暖化がサンゴと関係があることは全く知りませんでした。水中メガネでのぞくと、そこらじゅうに死んだサンゴが落ちていました。地球温暖化のげん因は私たちにあります。魚たちは二酸化炭素を排出したりしません。それなのに魚たちの住む場所がなくなっています。私は本当に理不尽だと思いました。
 私は海に近くない町で過ごしています。それに魚ではないので、海の中の環境は今どうなっているか分かりません。でも、だからといって危機状態にあるサンゴを見のがしたりはしたくありません。なぜなら海も陸と同じ、生命体が存在しているからです。魚も人も、同じ生命体なのです。だから、見える所の環境も、見えない所の環境も守っていきたいと思いました。

課題(1)(読売KODOMO新聞 7月11日付)
「温暖化 サンゴの命に影響」

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