2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

中学1年生の部 入選

せりふと言葉
桐蔭学園中学校
北條 達也

 小学六年間、演劇のけいこ事をしていました。ダンスに興味を持ち、小学校入学と同時にはじめた教室で、演劇の授業もありました。講師の人の指導のもとで、発声から始まり、有名な作品の一場面の上演、グループ、個人で考えたアドリブ劇などの練習を経て、毎年三月に外の人に見てもらう発表会がありました。
 小学校低学年の頃は、とにかく大きな声を出すことに照れがありました。早口言葉や普段使わない言葉遣いを、一人ずつみんなの前でさせられることが恥ずかしくて、いつも心の中で「早く終わらないかなぁ。」とスタジオの時計を見ていました。
 講師は、数々の演劇の有名な作品を演出されたI先生で、とても言葉を大切にされていました。「せりふは、台本の文字を読むのではなく、自分の生きてきた道を言葉にこめる。君たちは、まだ十年前後しか生きていないけれど、経験や考えたことをどれだけせりふの言葉の意味に引きつけられるか。」ということを何度も何度も言っていました。I先生のその言葉を十分に理解できたわけでは正直なかったけれど、言葉のアクセントや言い回しを工夫するのがだんだん面白くなり、ぼくは演劇の授業が年々好きになりました。
 今回この新聞記事の「台詞と科白」という同じ「せりふ」をあらわすタイトルにまず引きつけられました。劇作家の別役さんは「『台詞』の場合、聞き手は発信された情報を受け取るだけだが、(中略)言葉は、発信し受信されるだけではなく、それに加えて共有し、共鳴されなければならない、というのが『科白』の考え方なのである」と記事の中で書かれています。このことこそ、I先生が私達生徒に伝えたかったことなんだな、と記事を読んで思いました。I先生は「相手に届かなければそれはつぶやきでしかない。」とも繰り返しぼくたちに言いました。このことも別役さんは文中で「言葉を単なる意味のある記号として相手に発信するのではなく、相手と共有し、共鳴しようとする感覚を持つことである」と書いています。確かに、授業で劇をしたとき、相手と科白のやりとりで、お互い次の科白が言いやすい時というのは、「伝わっている」「伝わってきている」という感覚がありました。
 演劇の世界だけではなく、日常の私たちの会話も同じです。常に同じ価値観をもつ人と言葉を交わすわけではありません。たとえ身内で、何でもわかりあえる関係に見えても、ちょっとした表現の行き違いで、思ったことがきちんと伝わるとは限りません。しかし、自分の言葉が「相手にどんな風に伝わるか」「どんなふうに伝えたいか」と考えるだけでもその会話がよいものになるといえるでしょう。
 中学に入って前述のおけい古はやめてしまいましたが、表現することの楽しさと難しさを教えてくれたI先生にこの記事を読んで改めて感謝しました。

課題(1)(日本経済新聞 8月16日付)
「台詞と科白/別役実さん」


一枚の写真から私が知った事
鎌倉女子大学中等部
桑原 七海

 私は、新聞を読むとき見出しも気になりますが、いつも写真にひかれて記事を読みます。
 今回私が、この記事を選んだ理由は、掲載されている写真が衝撃的に心に焼きついたからです。
 ごみで埋め尽くされた場所に、一人の少年が立っている…。私達の住む日本ではありえない光景です。
 いったい何が起きているのか、何度も記事を読み、タイ北部のメソトという地域の様子だと分かりました。
 私の知っているタイと言えば、タイ料理くらいで、記事のような生活をしている地域や人々がいたり、その中に写真のような幼い子供達が少なくない現状に驚きました。
 ミャンマーから入国して不法滞在なので、ごみの回収しか仕事が無い環境、収入は多くても日本円に換算して百五十円ほど。少ない時は六十円。これでも収入がミャンマーに居る時よりいい。
 一日の収入が百五十円、ノート一冊だったり、私がおやつに何気なく食べるお菓子の代金と同じくらいです。
 学校にも行かず、毎日生きるため、家族の為にゴミを拾ってお金をかせぐ、少年の生活を思うと、私達の生活環境の豊かさがとても贅沢なものに感じています。
 それでも自分の祖国のミャンマーよりも、生活が豊かだということは、ミャンマーではもっと苦しい生活環境の人々が多くいることだと思うと言葉を失います。
 ゴミの山の環境を想像すると、臭いも異臭の状況だろうし、危険な物もたくさん混ざっていると思います。けがをした傷口からの感染症や不衛生な環境の中で、病気になる人も少なくないはずです。
 このような劣悪な環境から人々を移転させる取り組みの活動をする人もいる事を、記事から知りました。
 活動によって環境を改善しようとする人々は、まだ少数との記事でしたが、活動が大きくなり、生活環境が変わる人が増えて子供達も学校に通い、学べるようになってほしいと思いました。
 私は、今ある日常の生活が、ごく普通であたりまえの環境と思ってすごしています。
 日々の生活の中で、物を大切にしたり、いろいろな事に感謝をしているつもりでしたが、まだまだたくさん、ありがたさに気付いていない事が、私のまわりにあるんだと考えさせられました。
 今の私には、記事にあるような環境の人々の助けが出来るような、知識も能力もありません。
 ですが、記事を読み写真を目にする事によって、このような国や環境がある事、貧困な環境の人々が多くいる事、その環境を改善しようとする活動をする人々がいる事、私には接点のない地域の現実を知り、興味を持てた事は、これから世界の事を学んでいく中で、とても役に立つと思いました。

課題(1)(朝日新聞 8月21日付)
「ゴミ仕分け 生きる糧」


「嬉々」ではなく「危機」を持とう
湘南白百合学園中学校
吉田 美百合

 「終点でやっとはなしたスマホの手」
 なるほど、さすがだなと思った。新聞の俳句の投稿欄にのっていた作品で、短い言葉でうまく言いたいことが表わされていていいと思った。松尾芭蕉の俳句、
 「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
 ならぬ、「一手の句心にしみ入るスマホの現状」である。
 私はネット機器への依存とは無縁だと思う。携帯電話はメールもカメラ機能もアプリも使えない。使えるのは電話だけだ。「LINE」とはいったい何なのか、最近になるまで知らなかった。スマートフォンとアイフォンの相違点も分からない。それでも私は普段、あまり不便をしていない。ネット機器の他にも娯楽はたくさんあると思う。読書をしたり、友達とおしゃべりすることなどだ。それでも私は一度何かを体験すると一気にのめりこんでしまうのでスマートフォンやインターネット依存にもなりかねない。ではそうならないのはなぜか。自制しているからだ。
 そう、自制。ネット機器への依存をふせぐには自らがのめりこまないよう注意すべきだと思う。ただそれには保護者の協力が不可欠だ。ある新聞記事に「ペアレンタルコントロール」という言葉がのっていた。保護者が責任を持って携帯やゲームなどの子どもが手にする情報機器を管理するという意味だそうだ。なるほど。確かには母は一緒にいるときしか私にパソコンをさわらせないし、父も母もスマートフォンの所持者ではない。やはり環境がネット機器の依存を阻止するらしい。
 とはいえ、最近などはネット機器の危険性を説く人が増えているにもかかわらず、若者は今日も電車の中でスマートフォンをのぞき見たり、携帯の画面をにらみながら東京の町並みを歩いているのだろう。
 先日、おどろくようなことがあった。ある動物園のショーを見たのだが、その待ち時間。前後左右どこを見ても皆、ゲームかスマートフォンを手にしていた。小さな子から十代、二十代の人、はては父親や母親と思われる人たちまでもだ。呆然とした。若者の深刻なネット機器の依存の解決への道はまだ見えなそうだ。
 スマートフォンやパソコンの存在によって世界が広がると言う人もいるだろうが私はそうは思わない。いくら世界の人と会話できても所詮は画面上の話なのだから。私が本当に必要なのはインターネットで世界の人と話すふれ合いではない。目の前にいる人と直接話すふれ合いだと私は思う。誰かと共に行動し、一緒に笑い、泣き、怒り、会話し、喜び、おどる。これって当り前だけれど実はすごく素敵なことじゃないだろうか。

課題(1)(神奈川新聞 8月20日付)
「ネット機器は親が管理を」


みんなの笑顔を伝えたい
横浜国立大学附属鎌倉中学校
穐本 純花

 「やったあ。受験に受かった。」という人生が変わるような大きな喜びから「あの店の新メニュー、とってもおいしかったよ。」という小さな喜びまで様々な人の喜びを新聞で私が新聞記者だったら伝えたいです。
 みんなの笑顔が多く書いてあったら、とても幸せな気分になりませんか。例えば、朝、新聞を読むサラリーマンの人は、幸せな気分で仕事ができて能率が上がったりするかもしれません。なんとなく新聞を読む人だったら、なんとなく笑顔になれ、自然と幸せになれるかもしれません。それらの笑顔が他の人の笑顔につながり、みんなが快適にすごせる場所がつくられるのではないでしょうか。
 また、笑顔をつくる工夫として、投書欄に自分の描いた絵や、元気そうな家族の写真がのっていたら、なんだか幸せになってきませんか。スポーツ欄で好きなチームが勝って、お気に入りの選手がうれしそうにガッツポーズをしていたら、自分まで勝った気分になりませんか。文章だけではなく写真も使って、たくさん幸せな情報を提供していきたいです。
 でも、「幸せな情報」とは何でしょう。英語だと「happy news」。「幸福なニュース」という意味です。「happy」は「楽しい」という意味もあるので、「楽しいニュース」が「幸せな情報」なのではないでしょうか。楽しいニュースを新聞で伝えたいです。
 神奈川新聞には、こんな「みんなの笑顔」を伝えるコーナーがあります。一つは、「自転車記者が行く」。自転車記者こと佐藤将人さんが横浜市で、ニュースを集めます。八月六日の横浜面では「クワガタ工場」を発見します。鈴木基祥さんがなぜ町工場でクワガタを売っているかを話します。ここで、クワガタをもらう少年達の笑顔、写真から、鈴木さんの喜びが伝わってきませんか。
 もう一つは「かながわのおと」というコーナーです。八月十一日のワイド面で、座間市で、歌舞伎を支えようとしている取り組みが紹介されています。十一月の公演に向け、がんばっている人達の事がかいてあります。「入谷歌舞伎」の事も、「オール座間」で支えていることもわかりました。この記事を読み、盛り上がらせようとしている加藤一会長の意気込み、岩山愛莉沙さん達役者の楽しいという笑顔、座間市民の「入谷歌舞伎が復活した」という喜びが伝わってきます。
 神奈川新聞では様々なコーナーで、様々な幸せを伝えていることがわかりました。
 そして、読者の意見をたくさん取り入れる新聞にしたいと思います。投書を活発にして、様々な人の意見を取り入れて、見やすく、分かりやすく、見ていて楽しい新聞をつくっていきたいと思います。そして、投書欄上の読者の意見を活発に交流させて、いろいろな人の意見を読者が知れる新聞にしていきたいなと思います。
 私は、笑顔の力で、読んでいて、にっこりしてしまうニュースを多くして、多くの人を元気づけたいです。そして、「新聞って、すごい。タブレットとかもあるけれど、やっぱり私は新聞がいい。だって、読んでいて、元気になれる。」という人を一人でも多くしたいです。

課題(2)

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神奈川新聞社
かながわ「新聞感想文コンクール」事務局
電話:045-227-0707(平日、午前9時半~午後6時)

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