2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

中学2年生の部 優秀賞

鎌田実先生から教わったこと
鎌倉立玉縄中学校 
中村 朗子

 諏訪中央病院名誉院長・鎌田実さんの連載を読んで、まず最初に驚いたのは、鎌田さんが「拾われた子」だったということだ。育ての親の家は貧乏で、お母さんは重い心臓病だったのに、鎌田さんを引き取って育ててくれたそうだ。お父さんは小学校しか出ていなくて十八歳で青森県から上京し、タクシーの運転手として一日十五時間働いたこともあったほどの苦労人だ。厳しいお父さんと、病院のベッドでいつも話を聞いてくれて、鎌田さんを褒めて抱きしめてくれた優しいお母さん。鎌田さんは育ての親から、とても深い愛情を受けてきたのだなと思う。お母さんの入院中、定食屋さんでお父さんと二人でもやし炒めを分けあって食べていた話は切なかった。お母さんの入院費が最優先とわかっていたから、お父さんを困らせないように安いものを注文していたなんて…。本当は豪華でおいしいものをお腹いっぱい食べたかったはずなのに。
 お母さんの闘病生活を見ていた鎌田さんは、高校三年の時医学部を目指すことを決める。最初は「貧乏人は働けばいい」と認めてくれなかったお父さんが、最後に言った「うちみたいな貧乏な人間がどんな思いで医者にかかるか、忘れるな」という一言は、すごく私の心に響いた。貧しい生活の中で、お母さんの病気と闘ってきた、お父さんと鎌田さんの気持ちが凝縮された深い言葉だと思うし、この言葉があったからこそ、鎌田さんは弱い立場の人のことを忘れず、地方の医療に関わる仕事を続けてこられたのだろう。
 鎌田さんは大学の同級生の中で一人だけ東京を離れ、長野県の赤字の病院に就職する。私なら、東京の大きな病院に勤めた方が楽だし、最先端の医療チームに入って活躍した方がかっこいいから、地方には絶対に行きたくない。でも鎌田さんは長野で大活躍をする。脳卒中の死亡率が全国二位だった長野県を、平均寿命日本一にしてしまうなんてすごいと思う。また、お年寄り向けのデイケアを、三十年も前に国内で初めて立ち上げている。鎌田さんのさらにすごいところは、長野で終わることなく、チェルノブイリやイラク、そして東北や福島の医療支援にまで活動を広げていることだ。私達は「これはおかしい、何とかしなくては」と思っても、なかなか行動に移そうとはしない。まして自分の身近で起こっていないことに対してはどうしても他人事になってしまうものだ。でも鎌田さんの行動力は本当にすごい。それは現場を知り、弱い人の立場になってものを考えている鎌田さんだからこそ出来ることなのだと思う。そういう鎌田さんに共感する地域の人たちや医療関係者が、鎌田さんの周りに集まり、どんどん大きな力になっていく。人が輝けるのは都会とか地方とか外国とかそんなことではなくて、熱い信念なんだなと思った。
 お父さんやお母さん、大学時代に教わったたくさんの先生方…。鎌田さんはいろいろな人に導かれながら、素晴らしい医者になった。鎌田さんが三十七歳になるまで、拾われた子だった秘密を守り、鎌田さんの活動を温かく見守ってきた奥さんも素晴しい。そして何より鎌田さんの人間としての魅力が人を引き寄せ、みんなから手助けをしてもらえたのだろう。私も両親や家族、学校の先生や友達に感謝しながら、少しでも世の中の役に立つ人間になりたい。
 鎌田さんは時々テレビに出演しているので、医者だということは知っていたけれど、こんなに苦労の多い人生を歩んできた人だとは思わなかった。鎌田さんのことをもっと知りたくなったので、今度は「がんばらない」を読んでみようと思う。また、私はつい色々なことを我慢してしまう性格なので、鎌田さんのように無理に我慢をせず、幸せホルモンをいっぱい出せるようになりたいと思った。

課題(1)(朝日新聞(夕刊)7月29日~8月2日付)
「人生の贈りもの」


「命」の誕生を担う
川崎市立稲田中学校
松葉 仁美

 将来、大学に行って、しっかり勉強したい。英語が好きなので、海外留学もしてみたい。その後は社会の一員として、少しでも人の役に立つ仕事がしたい。そして、お互い信頼し合えるパートナーと出会い、結婚し、「赤ちゃん」を産みたい…。そんな青写真を描いていたのだが、どうも、そうは問屋が卸してくれないようだ。
 これまでは不妊治療や病気などで行われていた卵子凍結を、健康な独身女性にも認めるという記事に、「とうとうここまできたか。」という感が否めなかった。
 私の母は、一人目の子を死産している。せっかく授かった命を無事誕生させてあげられなかったという想いは、しばらく母を苦しめ、そして、身体の回復を待って、「次こそは」の想いで妊娠を望んだものの、今度はなかなか赤ちゃんを授かれなかったのだそうだ。その時の不安や焦燥感は、計り知れないものであっただろう。ようやく「私」がお腹に宿った時の喜びは筆舌に尽くし難い、と母は話してくれた。こんな身近に死産や、長期ではなかったにしろ不妊を経験した人がいたとは…。そしてこのことは“欲しいと思えば赤ちゃんを授かれる”ことが、決して当たり前ではないことを、私に強く認識させるものだった。
 それからというもの、私は「生殖医療」に強い関心をもつようになった。不妊治療には体外受精や人工授精などがあり、それを受ける夫婦が相当数いること、その中には第三者からの精子や卵子の提供が必要な場合があること、一回の治療に数十万という高額な費用がかかること、そして、国と自治体によるその費用の助成が42歳までで打ち切られてしまうこと…。他にも、わずかな血液で胎児の染色体の病気が分かる新型出生診断を受ける妊婦が増加していることや、結果によって妊娠を諦める、という決断を下す夫婦も少なくない、という現状も知った。が、中でも一番気になったのが、「卵子の老化」という問題だった。女性の体で作られる卵子は30歳を過ぎると、不妊や流産の確率がかなり高くなるのだそうだ。将来の妊娠に備え、若いうちに卵子を凍結して保存したいという独身女性の声の高まりを受け、今回、それが可能になるのだという。
 率直に言って、手ばなしで喜ぶ、という気持ちからはかけ離れている。確かにこの制度の確立により、働く女性が、より若い卵子を使って妊娠を試みることができる、というメリットは大きいと思うが、どうしても「不自然」である感が拭いきれない。赤ちゃんを授かることはイコール「命」を授かるというこの上なく尊く幸せなことだと思う。できれば自然な妊娠が望ましい、と私は思う。それでも、誰かの力を少し借りることで妊娠が可能になるのであれば、それは素晴らしいことだし、決して全否定をするつもりはない。ただ、この方法を盾に自分のわがままや、自分勝手な都合で妊娠を操作しよう、とするのであれば、それははっきり「NO!」と言いたい。命は、そんな軽いものではないはずだ。
 この記事を読んだ数日後には、ある動物の精子をフリーズドライ加工して保存することが可能になった、という記事も読んだ。家庭の冷蔵庫で保存しておいた精子と卵子を器に入れて、レンジで“チン”して子どもを作るといった時代になっても不思議ではない。
 私達人間は、英知を結集させ「不可能」を「可能」にしてきた。それによって大きな発展と飛躍を遂げてきたのだ。そしてそれは神の領域であった「生殖」の分野でも同様だ。
 やりたいことを諦めたくはない。が、妊娠出産に適齢期があることは忘れてはならない。

課題(1)(産経新聞 8月24日付)
「卵子凍結 独身女性も容認」

問い合わせ先
神奈川新聞社
かながわ「新聞感想文コンクール」事務局
電話:045-227-0707(平日、午前9時半~午後6時)

(C)2010 Kanagawa simbun All Rights Reserved.

当WEBサイトの記事、画像などの無断転載を禁じます。すべての著作権は神奈川新聞社に帰属します。