2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

中学2年生の部 入選

真実を伝える
湘南白百合学園中学校
渡辺 佳穏

 この夏、「平和について考える」という題名で、戦争があった時代に生きていた方に聞き取り調査をする、という宿題が学校で出されました。直接会話することで、話している方の心情や、本当の思いが伝わってきました。そのことがあったこの夏に、私はこの新聞の記事を見つけて、このようなことがあっていいのか、と疑問に思いました。
 まず、私は「はだしのゲン」のお話を読んだことがなかったので、アニメで見てみることにしました。記事にも書かれていたとおり、残酷だなと思う場面があり、もう一度見てみたい、という気持ちにはなれませんでした。ということは、作者が伝えたかった戦争の悲惨さが私にも理解できたのかもしれません。しかし、記事にもあるように、小中学生がこの「はだしのゲン」を自由に読むことができなくなると、私が感じることができた戦争の怖さや悲惨さを知る機会をなくしてしまうことになります。さらに、このように残酷なものは子どもたちの目にふれさせないようにしよう、となった場合、この先、日本の歴史はどのように伝えられていくのでしょうか。もしかしたら、戦争はそんなにも悲惨なものではなく、小さな事件のようなものとして伝えられていってしまうかもしれません。戦争を軽く見ることで、また戦争がおきる、ということもありえるのです。
 そしていずれは、戦争を体験された方がいない時代がきたときに、私たちが次の世代へ戦争の真実を伝えていかなければなりません。伝えていくためには、今、近くにいらっしゃる戦争を体験された方のお話を聞くことが一番大事だと思います。初めにも書きましたが、直接お話を聞くことで、その時の状況や心情を感じとることができます。しかし、戦争を体験していない私たちが次の世代へ伝えていくときに、体験された方が書いた、「はだしのゲン」などの書物が必要になってきます。今現在でも、直接戦争を体験された方から話を聞くことができない子どもたちには、「はだしのゲン」は、なくてはならないものです。
 だからこそ、残酷すぎるから、などの理由で、子どもたちが自由に読めなくなってしまうことは、私にとってとても残念なことです。このまま、閲覧制限の方向に向かってしまうのではなく、子どもたちが、読んでみよう、と思ったときに自由に手に取って読むことのできる世の中になってほしいです。

課題(1)(朝日新聞 8月18日付)
「天声人語」


女性の人権
湘南白百合学園中学校
鈴木 礼奈

 中学二年生の私にとっての毎日の生活は、朝起きて、朝食を食べ、学校へ行き、授業を受け、友人達と楽しく話をし、部活動に励む、そんな日々を送ることはごく当たり前のことです。将来、自分が何をしたいのか、どういったかたちで社会と関わり合っていくのか、まだ分からない状態ですが、いずれ女性として社会に関わっていくことは普通のことだと思っています。このように私が思えるのは、日本の社会には男女平等という考えが根源にあり、女性の社会的地位が確立されているからです。私の学校でも卒業された先輩方が社会の中でたくさん活躍されていて、女性として、また同じ学校の生徒として、とても誇りに思います。学校で教育を受け、社会に出る。これは私たち日本人女性にとっては大人になるためのプロセスで何の疑問も持ったことがありませんでした。
 しかし、この新聞記事を目にした時、この現代において女性の教育や社会進出は、世界でも当たり前の中、女性の人権が迫害され、教育すら受けられない国があることを知って同性として強い衝撃を受けました。ましてや、私とそう年齢もかわらない少女が、国連という大きな舞台で女子教育の実現を堂々と主張した姿には感銘を受けました。
 その少女はパキスタン出身のマララ・ユスフザイさん、十六歳。彼女は昨年、ブログで女子教育の権利を主張したところ、その直後にそれを否定する反政府武装勢力、パキスタン・タリバーン運動の民兵に襲われました。頭と首に銃弾を受け、大怪我を負いましたが、奇跡的に回復し、今年、国連本部で揺るぎない信念のもと、女性の教育を受ける権利の実現と、この活動を続けていくことを世界にアピールしました。死に直面するような出来事があったにも拘わらず、彼女は前にもまして、「強さ、力、勇気」が生まれたとも主張し、そこに女性の本当の意味での強さを心から感じました。パキスタンでは、このマララさんと同じ境遇の少女が何千人もいるそうです。大きな組織を敵にしてでも訴えたかった彼女の思い、そして勇気を、今、その少女たちはどのように受けとめているのでしょうか。小さなアリは、一匹では獰猛な相手を倒すことはできませんが、数千匹の力が集まれば獰猛な相手でも倒すことができる、この不可能が可能になることと同じように、少女たち一人一人の力と勇気を合せれば、この問題を大きく変えることは不可能ではないことだと思いました。
 この現実から私が今、何をすべきで、これから何に向かって自分を成長させていくのか、この一人の少女の勇気が女性としての生き方を教えてくれたように思えました。そして、私たちが送っている、この当たり前の生活こそが幸せだということに改めて気づかされたことでもありました。同世代の女性として、尊敬すべきマララさんに心からエールを贈りたいです。

課題(1)(朝日新聞 7月13日付)
「マララさん 国連で演説」


ミャンマーの事実
湘南白百合学園中学校
平野 佑依

 新聞を開いた時、衝撃的な写真が目に入った。「ゴミ仕分け 生きる糧」というタイトル。そして、難民となりタイでゴミの山に埋もれて、仕分けをしながらやっと生活しているミャンマーの子供達。どうして子供が、このような場所にいなくてはならないのか。
 ミャンマーのアウン・サン・スー・チーさんは、民主化運動への貢献により、ノーベル平和賞を受賞している。指導者として活躍しているので、政治や経済が安定に向かっていると思っていた。しかし、難民の生活は少しも改善されていなかった。期待を裏切られたようで、心が痛んだ。
 この記事には、自分よりも幼い子供の話が書いてあった。この子供は、働きたいから学校にいかなくてもいい。と言っているそうだ。しかも働いている場所は、「ゴミ山」だ。この不衛生なゴミ山で、本当に働きたいと思っているわけがないだろう。子供自身が、学校に行かなくてもいい、と思ってしまうことに悲しくなった。また、学校は行くものだと思わせてあげる人もいないのが、残念だった。そして特に印象的だったのが、「もっと清潔な場所に移転を促す取り組みもあるが、彼らは動こうとしない。この人生しか知らないからだ」という米国人写真家の言葉だ。このようなことを聞くと、私達が何と贅沢な生活をしているかに気付く。毎日の食事を当たり前だと思い、ジャニーズにうつつを抜かす自分に後ろめたさを感じた。私なら同じ人間が出したゴミの中で暮らすのは、屈辱以外の何物でもないと思ってしまう。プライドを優先できない人々がいることに、言葉に出来ない感情が出てきた。この人達を可哀想だとか不びんなどの言葉で言い表してよいのだろうか。
 ミャンマーの状況が一向に良くならないことを不思議に思い、ミャンマーの歴史を調べてみた。インドからの社会影響を受け、様々な民族が国を発展させてきた。一八八〇年代イギリスに占領されたり、民族や近隣諸国との衝突が起きたりもした。更に最近まで、政治について語ることに厳しく対処するなど、軍事政権が民衆を抑圧してきた。これでは、難民への対応が行える状況でないことがよく分かる。一方で、ミャンマー人は日本を好意的に思っているらしく、大統領が国の開発を日本に委ねたいと言ったことがあるそうだ。こんなにも期待を寄せてもらっているのに、日本からは目立った支援活動が少ないように感じる。
 私自身が、どんなに強く難民を助けたいと思っても、直接支援をすることは出来ない。しかし今は、大きな支援は出来なくても、自分達より辛い思いをしている人の存在を知って、その人達のことを真剣に考えるだけでも大切な機会だと思う。例えば、身近な募金に協力することが支援の一歩に繋がるかもしれない。生活に苦しむ人や、私達と同じように未来のある子供達を助けたいと本当に思うのであれば、見返りや達成感を求めていたのではいけないのだ、と感じた。ミャンマーなど紛争が続く国には、他国の支援が必要だと思う。欧米諸国は直接、援助に行くなど盛んに活動している。日本の政府も貧困で困っている国に、もっと積極的に手を差し伸べて欲しいと、強く願う。

課題(1)(朝日新聞 8月21日付)
「ゴミ仕分け 生きる糧」


一瞬の勇気
鎌倉女学院中学校
立石 桃

 私は、インターネットである写真を目にしました。たくさんの人が電車を押している写真。初めは、中国の満員電車で、駅員さんが乗客を押し込んでいる写真かと思いました。でも、違ったのです。電車を押している人達は、駅員さんではなく、学生や、サラリーマンでした。そして、電車の色や形は、私が毎日のように乗っている電車、京浜東北線にそっくりでした。
 次の日、新聞にこの写真についての記事が載っていました。
 七月二十二日、さいたま市の南浦和駅で、電車から降りようとした女性が、約十センチの電車とホームの隙間に挟まれてしまいました。すると、車内やホームにいた乗客や駅員など約四十人が集まって、車両を押して隙間を広げ、女性を救出したという内容でした。
 私はこの記事を見てとても驚きました。車両を押した人達は、いつものように、会社や学校などに行こうとしていて、このような事が起きるなど、考えていなかったはずです。たまたまそこにいただけで、面識のない見ず知らずの人達と力を合わせて、一人の女性を救ったのです。
 車両一両の重さは約三十二トン。一人の力では到底動かせない重さです。最初に電車を押し始めた人は、きっと数人。周りの人達が声を掛け合って、四十人という人の多さになったのだと思います。
 私がもし、この場にいたら、車両を押していたでしょうか。一両で三十二トンもあるのです。―動くはずない。そう思ってしまうかもしれません。この四十人の人達は、勇気のある人だと思います。
 勇気は一瞬、後悔は一生。
 よく耳にする言葉です。自分は力になれないかもしれない、無理かもしれない。でも、勇気を出して、車両を押す。今日、初めて会った人、話したこともない人を信じて、車両を押す。一人一人の少しの勇気と、他人を信じる力が、一つの命を助けたのだと思います。
 だから私は、自分の近くで何かあったら、勇気を出して、自分に出来ることを出来る限りしてみようと思いました。後悔しないように、みんなを信じたいと思います。当たり前のことかもしれないけれど、私は「勇気」が大切なんだと、この記事を見て改めて思いました。

課題(1)(朝日新聞 8月23日付)
「40人、車両押し救出」

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