2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

中学3年生の部 入選

何よりも強い武器
横浜市立あかね台中学校
加藤 百香

 「教育」。この言葉を聞くと、私は「受けなくてはならないもの」「嫌でも、やらなくてはいけないこと」というイメージを抱く。しかしこの「銃撃に負けない十六歳の信念」を読んで、私の教育に対する考えは、百八十度変わった。
 パキスタンの十六歳の少女、マララ・ユスフザイさんは、教育を受ける権利を訴えて、武装勢力に頭を撃たれた。このニュースを聞いたとき私は、「なぜ、この人は教育を受けたいと主張しただけなのに、撃たれなければならないのだろう。そもそも、この人はなぜ教育を受けられていないだのうか。」という疑問を抱いた。私の中で教育とは「全員が平等に、必ず受けるもの」だったので、マララさんが教育を受けたい、と訴えることが理解できなかった。
 しかしある日、テレビで、幼い頃から両親と離れ、他人の家で働く子供達を特集している番組を見た。どんな仕事でも、愚痴一つこぼさずに、一生懸命働く。とても、自分より小さい子供がやっていることだとは思えなかった。リポーターがその子に、「将来何になりたいの。」と聞くと、その子は「学校の先生。」と答えた。次に「今やりたいことは」という質問をすると、「本を読んで、勉強したい。」そう言って悲しそうに顔を伏せた。
 「あぁ。これが、教育を受けられない理由だ。これが、教育を受けたいと願う理由の一つか。」
 私はやっと、マララさんの訴えたことの意味を理解した。
 これを受けて、改めて記事を読み返してみると、マララさんの強い信念に、私は胸を打たれた。世界には、このマララさんや、幼い頃から働かなければならない子供のように、教育を受けたくても受けられない子供がいるのだと、私は深く思い知らされた。そして、今、当たり前のように、何不自由なく学校に通い、学ぶことのできる私達は、とても恵まれているのだと強く実感した。銃に撃たれたのにもかかわらず、必死に「教育の大切さ」を訴えるマララさんの姿は、私の心にいつまでも残っていると思う。
 マララさんは最後に、「本とペンを手に取ろう。それが一番の強い武器。」と投げかけている。銃や他のどんな武器よりも、教育というのは強いのだと、そう訴えている気がした。本来、教育を受けなければならないはずの子供達が、時には働く為の道具として、時には他人を殺す為の兵士として、今この瞬間を過ごしている。マララさんの言葉は、そんな彼らに勇気と希望を与えたのではないだろうか。
 今、こうやって頑張っている、世界中の子供たちの為に、私ができること。それはきっと、「教育をしっかり受けること」だと思う。もっともっと勉強をして、いつか世界中の子供全てに、教育を受けさせてあげたいと思う。
 「良い高校に入るため」「良い仕事に就くため」。それも大事だが私は、「世界で、教育を受けられないことと、闘い続ける子供達のため」に、これからは勉強して行きたいと思った。私の “一番の強い武器”で、世界中の子供達を、救うために。

課題(1)(朝日新聞 7月13日付)
「銃撃に負けない 16歳の信念」


砕かれた憲法
フェリス女学院中学校
鈴木 友梨

 「憲法こんな内容だぜ」
 この見出しを見たとき、私はとても砕けた珍しい記事だと思った。 
 憲法という重い題材を扱っているにもかかわらず、「~だぜ」という軽い語調が使われた、という内容だったからだ。
 日本国憲法は一九四六年に公布されて以来一度も改憲されていない。その為、私のような若い世代には分かりにくい表現や使い回しが少なからずある。
 そんな中、愛知大学の生徒によって憲法の全条文が若者言葉に訳された本が発売された。
 記事にも若者言葉訳の一部が掲載されており、実際に読んで感じたのは文章は軽いテンポであるものの各条文の要点は押さえてあり憲法に詳しくない若い世代にも読みやすく、受け入れ易いものになっている、ということだ。
 しかし、日本の最高法規である憲法をこのように若者言葉に訳してしまうことは憲法を軽視していると捉えることもできるのではないだろうか。この若者言葉訳の文章の中には「ガキ」や「俺達」といった言葉が使われている。これらの言葉には多かれ少なかれ、乱暴そうな印象を受けるのではないだろうか。また、若者言葉は日本語としておかしい、分かりにくい、といった意見もある。そのため若者言葉訳の憲法に抵抗を感じる人もいると思う。
 それでも記者が、若者言葉に訳して出版することで若い世代にも関心を持ってほしいという強い気持ちが紙面から伝わってきた。
 若者に日本の伝統的な文化に興味・関心を持ってほしい。ここで私が体験した例を挙げてみる。
 現在、抹茶は現代の人々にはなじみ深いフレーバーのひとつではないだろうか。しかし、その歴史は長く、南北朝時代に日本独自の茶道文化が形成され、今日まで受け継がれてきた。
 私は抹茶味のアイスなどが好きで何度か母に茶室に連れていってもらった経験がある。そこでは、茶道の作法を学ぶだけでなく着物や和室などの日本独特の「わびさび」に触れ、お話を聞くうちに歌舞伎などにも興味を持つようになった。
 このように、導入部分は伝統を砕いた斬新なものであったとしても、関心を持つきっかけになるならば、私はこの若者言葉訳も知るための手段の一つとしてはありだと思う。それと同時に私は原文も読み、併せて理解するべきだと思う。
 だから私は、記者が若者言葉訳と原文を一緒に掲載したことに深い感銘をうけた。
 今、憲法改正に向けた動きに伴い、憲法について新聞やテレビなどで取り上げられる機会も増えてきた。普段何気なく暮らしている中でも憲法があることによって人が人として生きる権利が保障されていること、他にもたくさんの権利が保障されていることを知ることができる。
 そんなとき、憲法についてある程度の知識と関心を持っていなければ自分に関わる問題として考えることはできない。
 これからの時代を担っていくであろう若い世代の政治離れが問題視されているなか、大学生が主体となって活動し考える機会を設けていくことは、日本にとっても重要なことではないかと思う。
 私も憲法や政治について学ぶ機会を有効に活用し、自分の意見・考えを持つ有権者になりたいと思う。

課題(1)(東京新聞(夕刊)7月30日付)
「憲法 こんな内容だぜ」


勇気の八分間物語
鎌倉女子大学中等部
川崎 彩夏

 私は毎日電車通学をしています。今から二年少し前の、中学生になりたての四月の頃は、駅構内をクロスし合う人の流れについていけなかったり、改札口を前の人のリズムに合わせてうまく通過できなかったりなどして、初めての電車通学に緊張と戸惑いの連続でした。ドラマや本などを通して電車通学に憧れを抱いていたのですが、現実はそう楽なものではなく重いカバンを肩にかけながら立ちっぱなしの満員電車に揺られる毎日は、未熟な自分の心身を鍛えるチャンスであり、日々繰り返していると駅構内の人々の歩く速度や改札口を通過する前の人との間隔といった、電車通学のコツをいつの間にか覚えられるようになっている自分がいました。
 そんな時期(入学後二ヶ月程経過した頃)から、私は電車通学を楽しめるようになっていました。登下校中に見る車窓からの風景を再発見したり、毎日同じ時刻の同じ車両に一緒に乗る人々に安心感と連帯感を抱いたり、たまに遭遇するハプニング(急病人発生時の周囲の対応や優先席の譲り合い…など)は社会勉強の一つとなっています。起きたハプニングに対して周囲の人々がどんな対応をするのか、自分はどうすべきかを考えさせられるよい機会でもあります。
 夏休みに入って電車通学から遠ざかり、駅のアナウンスや発車メロディーを懐かしく感じていた七月末、ちょうどこの記事を新聞で読みました。見出しの「電車」の二文字と写真に、何か人間くささを感じ、心が敏感に反応しました。これは、通学途中にハプニングに遭遇した時の心の反応に似ていました。何が起きたのかという心配と不安、起きたことを人間としてどう考え受け止めるかです。
 記事は電車とホームの隙間に挟まった女性を駅員と乗客が力を合わせてわずか八分で救出したというものでした。誰の指示で動いたわけでもなく、その場に居合わせた人々が機転を利かせて行動に出る、なかなか勇気のいることだと思います。一人の勇気が、二人、三人…人の勇気につながり、それが大きな力になることの証明となったようです。もし私がその時にいたら、一人目の勇気になれたか自信はありません。とっさの判断力に欠け、また周囲の目を気にしてしまい、何十番目かの勇気にとどまっていたかもしれません。でも一度出した勇気は衰えることなく、迷うことなく電車を一生懸命押すであろうことは確かです。
 この記事を読み終えた後、一人の勇気がやがて大きな力になり、支えになった似たような出来事を思い出しました。私の住む区内の方の話ですが、東日本大震災のボランティアで岩手県大槌町を訪れた際、地元漁師の漁船が欲しいという切実な訴えに心が動き、漁船を贈る為に募金活動を始め、やがて目標額に達し、今年六月見事に漁船を贈り届けることができたそうです。彼の小さな勇気が、自然に周囲の皆に広がり、そして区内全体に広がり、大きな力となったのです。私も勇気を出してわずかばかりの募金をしました。関係者の方々が地元駅前に立ち、募金活動をしていたのですが、私が通りがかった時は誰も募金をしている人がいなくて、私は一瞬迷ったのですが、勇気を出してお金を入れると、私の後に、募金をする人が二人並んだのを今でも憶えています。勇気がつながった瞬間でした。
 人が持つ勇気は幸せにする力があります。一人の勇気が周囲に伝わり広まることで、大きな力に発展していくのではないでしょうか。私が幼い頃、新しいことにチャレンジするたびに「ほら、勇気出して」とよく母に言われました。大人になるにつれて考えこみすぎて勇気を出す難しさを実感しますが、正しいと思う事に向かってゆく心が大切だと思います。

課題(1)(読売新聞 7月31日付)
「勇気の八分間物語」


字幕で選ぶ一票 途上
横浜共立学園中学校
百瀬 陽向

 何気なく新聞を眺めていて、何気なく読んだ記事が、何かのきっかけになることは、誰にでもあると思う。私の場合はこの記事が、聴覚障害者へのバリアフリーについて考えるきっかけになった。
 「字幕で選ぶ一票 途上」
 記事では、今年七月の選挙で、参院選の政見放送に、初めて字幕が付けられたことを、以下の背景と共に紹介している。これまで、国政選挙の政見放送に手話は付いていたが、聴覚障害者で手話を理解する人は、二割に満たない。よって、今までは、聴覚障害者の八割以上が、候補者の声を十分に理解できていなかったとみられる。
 字幕が付けられたことは、同じ空の下で生きている、聴覚障害の有無の差しかない人間同士が、同じ情報を共有できなかった社会を変えたと、私は思う。それは、「自分たちは対象外なのだと思っていました。」との聴覚障害者の声が、「国民の権利をやっと、きちんと行使できる。」という晴れやかな声に変わったことを伝える記述からも分かる。
 ところで、私が読んだ記事には、「バリアフリー」という言葉そのものは書かれていない。しかし私は記事を読んで、政見放送への字幕もバリアフリーの一種なのではないかと感じた。けれども、聴覚障害者へのバリアフリーとは一体何なのかは、分からなかった。だから私は、調べてみた。
 バリアフリー。最近よく聞く言葉である。しかし、手足の不自由な人や視覚障害者へのバリアフリーはよく耳にするものの、聴覚障害者へのそれは、あまり聞かない。実際、インターネットで検索しても、情報は見当たらなかった。そのため私は図書館へ行ったところ、バリアフリーに関する一冊の本に出会った。そこには、
 「聴覚障害者への一番のバリアフリーは『配慮』である」と書かれていた。
 私はこの「配慮」という方法に強く共感した。政見放送が字幕を付けることは法律で制度化されたと記事にはある。しかし、制度化されるまでの過程には、人々の配慮が集結してできた大きな力があったと思う。現在の、聴覚障害者は必要な情報を入手しにくい社会、言ってみれば、「音が聞こえなければ物事まで聞こえない社会」での彼らの困難を思いやる気持ちが、ここでいう配慮だと思う。
 さらに私は、現在行われている聴覚障害者への配慮の例を調べた。しかし、横浜市営バスによる筆談具の常備をはじめとした数例しか見つけられなかった。だから私は、配慮の数を増やしていくことの必要性と、今を生きる一人一人の考え方の大切さを強く感じた。「自分が配慮しようとしまいと変わらない」という考え方を皆がしたら、バリアフリーは進まない。「小さい力だけれども、やろう」という考え方を皆がすれば、バリアフリーは進むだろう。「字幕で選ぶ一票」のように。
 二〇一三年七月二十一日。多くの人の配慮から、「字幕で選ぶ一票」は誕生した。しかし、あくまで「途上」であり、まだまだ先は長いと思う。記事によると、字幕が付くようになったのは、NHK本部で収録される比例区のみだという。だが、そんな状況も、一人一人の配慮が集結し、それが今までよりももっと大きな力になれば、変わっていく気がする。
 「字幕で選ぶ一票 確立」
 そんな見出しの記事を、一日でも早く読みたい。だから私は、自分にできる配慮の模索と実行に努めようと思う。

課題(1)朝日新聞 7月16日付)
「字幕で選ぶ一票 途上」

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神奈川新聞社
かながわ「新聞感想文コンクール」事務局
電話:045-227-0707(平日、午前9時半~午後6時)

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