ぼくは、小学校二年生になったばかりの四月、自転車に乗って友達と遊んで帰ると中、急いでいたので近くの家の塀にぶつかってしまい大ケガをしました。その時のことは、とてもショックでいたかったので覚えています。
ぼくは、どうしてあの時事故をおこしてしまったのか考えました。ぼくの自転車は、ようち園のころ買ってもらったので、体にあっていなくて自転車の整備もタイヤの空気をみるくらいで終わっていました。実際ぼくの事故はブレーキがあまり効かなかったことと、ぼくの運転ぎじゅつがうまくなかったからでした。
でも当時両親は、ぼくの事故が他のだれかをまきこまないで自分のケガですんだのは、不幸中の幸いだねとよく言っていました。ぼくも本当にそう思いました。
新聞で自転車事故の記事を読みました。ぼくと同じ小学校五年生の男の子が、時速二、三十キロメートルのスピードでおばあさんと正面しょうとつしてしまったという内容でした。おばあさんは自転車とぶつかったしょうげきで二メートルもはね飛ばされ、頭を強打してしまい脳に障害が残り今はねたきりのじょうたいとなってしまっているそうです。
ぼくはこの記事を目にした時、三年前にぼくがおこしてしまった自転車事故のことをすぐに思いだしました。
あの時はぼく一人だけのケガですんだけど、他のだれかをケガさせてしまっていてもおかしくない事故でした。だからこの事故が他人ごとのように思えませんでした。
自転車に乗っていて、危険な運転をしている高校生や友達とすれちがう時、ドキッとすることがあります。正直ぼくも危険な運転をしてしまった時もありました。
自転車に乗る人は車に乗ることと同じだとぼくは思います。ルールを守り、交通安全教室などで、自転車の乗り方をもっと学習する機会をふやすべきだと思います。また、危険運転がどんな結果を招くのか日ごろから考えることが大切だと思いました。
自転車はだれでもかんたんに乗れて便利なのであまり注意をしないで乗ってしまうことが多いです。けれど、自転車でも人の運命を変えてしまうようなとり返しのつかない事故があるのだと分かりました。
ぼくは、事故を起こさないように自転車に乗りたいと思いました。そして、新聞の記事を読んで思ったことや考えたことを、家族や周りの友達に伝えていきたいです。
課題(1)(毎日新聞 7月15日付)
「自転車事故 被害者苦悩深く」
私は、「天国の孫からの手紙」を読んで胸があつくなった。
宮城県東松島市の仮設店舗で食堂を営む高橋かつ子さんに、東日本大震災の津波の犠牲となった孫の尾形龍生君(当時十才)からの手紙が三年経って見つかり、届けられた。手紙には、高橋さんの似顔絵と、「いつもやさしくしてくれてありがとう。」との言葉があった。
三年間泣きくらしていた高橋さんはこの手紙を受け取り、「龍ちゃんの分も元気でいなきゃ。」と気づけたと言う。そして、「ばあちゃん負けずにがんばるからね。」と龍生君の写真に語りかけていたと記事にはあった。
私は孫をなくし、家や店も無くした高橋さんのつらさを思うと悲しくてたまらなくなった。そして、龍生君の手紙で三年たって初めて、「がんばろう。」と思えた高橋さんの思いに、胸の辺りがキュンとなって、涙がこみあげてきた。私は知らなかったが、生き残った人には、何年経っても苦しみが残っているものなのだ。だれかの愛情にふれた時に立ち上がって前を歩いていこうとがんばれるのだと思えたからだ。
正直言って、私は震災のことは毎日生活する中で忘れていることも多くなっている。でもこの記事を読んで、まだまだ震災は終わっていないんだということを改めて考えさせられた。
新聞記事は、世界や日本の情報、事故や災害や犯罪など世の中の出来事を「一早く伝えること」を大事に毎日書かれているのだと思う。でも、人々に伝え続けていきたいことや人々に考えてもらいたいことを「発信していく力」もあるのだと、この記事を読んで思った。
悲しい事件や悲しい戦争の記事ばかりで、新聞を読むのがつらい日もたくさんある。でも、真実を見て聞いて考えて、明日を少しでも明るくするための情報として新聞をよりよく利用していけるのが人のすばらしい力だと思う。私もたくさん勉強して、新聞を正しく読み、理解し、新聞が「発信」することをキャッチして成長していきたい。
そして、高橋さんが負けずにがんばる姿の続きをまた新聞でぜひ紹介してほしいと思う。
課題(1)(読売新聞 7月25日付夕刊)
「天国の孫からの手紙」
ぼくは、八月四日の「夏こそ家族で大そうじ」に目がとまった。理由は、毎日お風呂そうじをしているので、どういう事なのか気になったからだ。この記事では、冬より夏のほうが大そうじが楽に出来ることを伝えている。どうして冬より夏のほうがいいのだろう。それは、夏のそうじのメリットがあるからだ。そのメリットは、(1)気温が高いので汚れが落としやすい。冬は、七回こする必要があるが夏は三回こすって汚れを落とすことが出来る。(2)水拭きした所や洗濯物が乾きやすい。(3)冬場はつらい仕事や屋外のそうじがしやすい。(4)夏休み期間に家族で取り組める。(5)年末の大そうじの負担をへらせることなどだ。ぼくは、年末の大そうじで冬に窓ガラスをふいていた時は、とても冷たくてそうじがしにくかったので、「なるほど」と思った。
そこで早速、窓ガラスのそうじで試してみた。その日は、天気は曇りで気温二十八度、湿度六十パーセントだった。ガラス用の洗剤を吹き付けて、布でふいてみると、汚れはすぐ落ちてガラスもすぐに乾いた。冬は、汚れが固くなっていたので水をかけて汚れをやわらかくしてこすり落とした。それからガラス用の洗剤でもう一度ふいたことを思い出した。確かに汚れは夏の方がよく落ちる。しかし、デメリットもあった。庭に出ると(1)カがいるので虫よけ、カ取り線香の用意が必要。(2)とにかく暑い。なるべく涼しい日、涼しい時間にやってみたが動くとやはり暑いし、カも飛んでいた。水分をとったり、保冷剤を首にまくなどして無理をしないでそうじすることが大事だと感じた。
新聞では、コンロ、トイレ、くつ箱などをすすめていた。こっちは、部屋の中なので夏でもきっとそうじしやすいと思う。今回は冬と比べるために窓そうじをしたが、げん関や浴室の排水口そうじにチャレンジしてみたいと思った。
この記事を読んで家族とそうじについて話し合い、一緒にそうじをすることが出来た。そうじは、理科の実験みたいで面白い事にも気がついた。特に母は、喜んでいる。ふだんは、テレビ欄しか見ないぼくは反省した。これからは、もっといろいろな記事を読もうと思う。
課題(1)(「朝日新聞 8月4日付)
「夏こそ家族で大掃除」
(それはちがう!)私は、その記事を読んだとき、悲しみと怒りがまざった気持ちになりました。それは、原爆投下の「エノラ・ゲイ」乗員の最後の生存者だったバンカークさんの、「原爆投下が戦争終結につながり、間違っていたとは思わない」「原爆投下は長い目で見て多くの命を救った」という言葉です。
たしかに原爆投下によって戦争が終わったのかもしれません。けれど、そこで失われたたくさんの命は、ぎせいになっても良い命ではありません。原爆は多くの命をうばったもので、多くの命を救ったというのはちがうと思います。バンカークさんも、「戦争や原爆では何も決着しない。」とおっしゃっています。その通りです。原爆によって未来をうばわれた子どもたち。どんなに悲しかったことか。苦しかったことか。そして、くやしかったことか。
「戦争が終わったのに、ぼくらはなんで死ななくちゃならないのか。」
終戦の八月十五日のある方の言葉だそうです。
戦争は今も行われています。イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザ地区を攻げきしているという記事は、毎日のように新聞にのっています。避難先の学校が攻げきされ、市民が被害にあいました。
「一番安全な場所に避難した。それなのに。」
東エレサレムのオリーブ山にある病院でのハサン・ハラックさんの言葉です。何も悪くない市民が、けがをしたり命をうばわれたりしています。「戦争によって、身体だけでなく心にも深い傷を残している。」「流血はもうたくさん。」とイスラエル軍の被害者が語っています。なぜ「センソウ」は続いているのか。しなくてはならないのか。センソウによって、夢や希望も消されてしまいます。
私には、しょう来アナウンサーになりたいという夢があります。私と同じように、夢をもっていた子どもたちが、夢をうばわれてしまっているのです。
「戦争を決める人と、戦う人はちがいます。子どもはいつも苦しみます。」「戦争も原爆もあわれなだけ。絶対に繰り返しちゃだめ」
この言葉が私の心の中に響きました。この記事を世界中の人々が読んで、考えてほしいと思いました。「苦しむのはいつも子ども」ということを。
課題(1)(毎日小学生新聞 7月31日付)
「苦しむのはいつも子ども」 ほか