2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

中学2年生の部 最優秀賞

戦争と今のわたしたち
横浜市立南希望が丘中学校 二年 糸口 真子

 八月十六日、前の日の終戦記念日に各地で行われた戦没者の慰霊行事の様子や戦争体験、平和を訴える記事が新聞にたくさん載っていた。八月は広島や長崎の「原爆の日」もあり、年に一度は戦争を知らない私たちも、いくつかの戦争にまつわる悲しい話や悲惨な体験をテレビや新聞を通して見聞きする時期である。戦争はもう二度と起きて欲しくないと思っているし、戦争で亡くなった方や、家族や大切な人を失った方々は本当にかわいそうだな、と心の底から思っている。けれども私たちはやっぱり戦争体験していないから、どこか昔のどこか遠い話のように思えてしまい、この時間が過ぎるとまた平和な日々の中で「宿題が面倒くさい」とか「塾に行きたくない」とか、ぜいたくな不満を口にしながら過ごしている。

 そんな戦争を知らない私たち同世代の中学生が今年五月、長崎でとんでもないことをしてしまった。長崎に修学旅行中の横浜市の中三男子が、被爆遺構を案内していた被爆者の森口貢さんに対して「死に損ない」などと暴言を吐いたのだ。私はあ然としてしまった。何と悪意のある言葉だろう。森口さんを深く傷つけたことを分かって言っているのだろうか。同じ横浜市の中学生として申し訳なく、そして恥ずかしい気持ちになった。そして八月十六日の新聞の中に「『死に損ない』暴言を受けても語る」という記事を見つけた。あの出来事の後の森口さんのことが書かれていた。森口さんは、暴言のことがあってから一度は語り部をやめようかとも考えたそうだ。けれども、ある平和運動に関わる二十代の男性に、「核兵器や戦争が絶対にダメというのは正義だが、押しつけられる反発もある。」と言われて、ハッとしたそうだ。自分の思いだけを押しつけていたのかも、と感じたそうだ。私は今まで戦争の話を見聞きして、押しつけられていると思ったことはない。けれども、何かの理由でそう感じる人もいるのかも、と思った。身近な例で考えると、殴り合いのケンカをして怪我をさせられた人が、全く別の人に傷口を見せて痛くて大変だったよと話したら、初めは「かわいそうに」と同情して聞くけれど、何度も聞かされたら自分はその場にいたわけではないし、「もう分かった、分かった」と、話を聞くことを避けるようになってしまうかもしれない。戦争のことをこんなことに例えたら失礼だとは思うが、「本当に体験した人と、見聞きしただけの人との溝はある。」と正直思った。

 森口さんはその後、中学生に語りかけるときには「ここで皆さんと同じ十三・十四歳の子がたくさん死にました。この先の人生がなくなったらどう思う?」「何でもいいから質問して。意見でもいいですよ。」と素直な気持ちや意見を引き出せるように心がけているそうだ。「あの暴言のできごとは、若い人に何をどんなふうに伝えればいいか考えるよいきっかけになった。」とおっしゃっている。また、「あの生徒たちともゆっくりお話がしたい」ともおっしゃっていて、「あのことが傷にならなければいいが」と気づかって下さっている。

 そんな心優しい森口さんに対して、私たち横浜市の中学生がお詫びとしてできることを私は考えた。それは「戦争のことを少しでも知ろうと努力すること」「話を聞くときは心を無にして、真剣に聞くこと」「語り部の方々が辛い経験を話して、私たちが二度と戦争をしないですむように教えて下さっていることに感謝すること」の三点だ。

 私はいつか長崎に行って、森口さんの話をぜひ伺いたい。そう強く思った夏休みだった。

課題(1)(朝日新聞 8月16日付)
「いま、さらけ出す戦争」

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