2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

中学2年生の部 優秀賞(神奈川新聞社賞)

「過去」に寄り添い「未来へ」
平塚市立神明中学校 二年 平野 朋子

 もう一つの「風立ちぬ」。映画や小説と同じタイトルが気になりました。秦野というのも身近に感じ記事を読みました。太平洋戦争末期、秦野で国産初のジェットエンジンの開発が行われ、完成し、その開発責任者の種子島時休についての連載でした。

 私は戦争というと原爆や空襲の話を多く読み聞きするので、大きな犠牲と全てを失うというイメージが強くありました。だから、戦争という時代の中で、世界に誇れる技術開発が完成していた事実に驚きました。又、徹夜明けにそのまま河原で寝入ってしまったり、カタツムリや蛇を口にする程の食糧不足というぎりぎりの中で、ジェットエンジン開発を完成させた技術者たちの情熱と粘り強さとたくましさを誇りに思いました。更に、種子島時休と技術者たちは戦後も国産ジェットエンジン開発をリードし、そこからエアバスや車のエンジンにもつながってきたと知ると、戦争という暗く絶望の時代の中でも「今」という未来につながった新しい技術が生まれていたという事実に感動しました。

 種子島時休は、戦国時代に「種子島銃」製造で知られる種子島時尭の子孫という生まれを意識して、新兵器開発を志し、エンジンの専門家になったそうです。ジェットエンジンの必要性を説き、いつ実用化するかわからない開発に対しての軍上層部からの非難の声にも開発責任者として耐え、常に仲間を励まして開発に没頭したという姿から、時休のジェットエンジンへの情熱は本当に強くひたむきなものだったと感じました。又、記事を読んでいくうちに、時休と技術者たちの開発を実現する情熱は、今現在、宇宙開発や医学研究などに関わっている技術者や研究者と同じだと思い近く感じました。しかし、生きる時代が違うと大きく変わってしまうのです。今のわたしたちには時休のように優秀で責任感の強い人が兵器開発を志すなんて考えられないことです。でもそれを志すことが使命として当たり前に考える時代だったのでしょう。時休たちの開発は、今の時代だったら華々しく脚光を浴びる開発に違いなかったでしょう。でもそれどころか敗戦し、自らの手で壊さなければなりませんでした。戦後、時休はジェットエンジンが特攻機になると知りながら開発したことを、軍人技術者として誤りを正すことができなかったと反省しています。ドラマで見る、今では当たり前の人の命を大切にする発言も「非国民」と非難される時代に、正しいことでも声を上げることがどんなに難しかったか。私は人が生きる時代の大切さを感じ、時休たちが生きたような時代には二度としてはいけないと思いました。そして、戦争から平和への時代を生きた時休の「心ある学問・研究でないと人の役には立てない、技術は平和利用のためでなくてはならない。」という想いを未来へつなげていかなければならないと思いました。

 私はこの記事を読んで、戦争という時代にも、夢を追いかけ、その実現に頑張っていた人たちがいたことを感じました。そして、その人たちがどんな考えや想いを持っていたかを想像することができました。私たちは戦争を体験せずに、これから戦争のない平和な時代を築いていかなければなりません。過去の人たちの体験を想像し、想いに心を寄せる体験を私たちが積み重ねていくことが歴史を生かすことだと思います。そして未来へつなげるのです。

 記事には過去のことも現在のことも事実が書かれています。私はこれから、もっとたくさんの記事に、心を寄り添わせて読んでいきたいと思います。そして平和な時代を築くことができる広い視野と考えをもった大人になりたいと思います。

課題(1)(神奈川新聞 8月13~15日付)
「もう一つの『風立ちぬ』」

問い合わせ先
神奈川新聞社
かながわ「新聞感想文コンクール」事務局
電話:045-227-0707(平日、午前9時半~午後6時)

(C)2010 Kanagawa simbun All Rights Reserved.

当WEBサイトの記事、画像などの無断転載を禁じます。すべての著作権は神奈川新聞社に帰属します。