2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

中学2年生の部 入選

小さな命を救うこと
鎌倉女学院中学校 二年 長島 佳穂

 動物愛護。これまでとても影が薄く、新聞記事にもされなかったことだ。しかし、今は動物愛護法が改正されたためか、とても頻繁に取り上げられるようになった。

 私は、元々捨てられていたり、野良だった犬一匹と猫三匹を飼っている。それまで人に飼われていなかったためか、あまり心を開いてくれず、トイレなどのしつけにもとても時間がかかった。また、病気を持っているため、えさの種類が一匹ずつ違い、日々の食事の支度も大変である。一匹一匹に個性があり苦労したが、根気強く世話をすることで、今は、随分人懐っこくなってきた。

 平成二十六年七月二十五日、神奈川新聞の「虐待猫の里親探しに奔走」という見出しに目が止まった。それは、鎌倉市内のマンションで衰弱していた約九十匹の猫を保護し、里親を探しているという内容だった。

 私はこの記事を読んで、想像の域を超えていると思った。飼い主の女性は「同居する男性に飼育を任せていたら増えてしまった。」と無責任な言い訳をしている。鎌倉には毎日登校しているため、とても身近に感じ、また、九十匹という膨大な数の猫たちがえさや水も与えられず、糞尿のたまった悪臭の漂う部屋にいたという、すさまじい光景に思えた。骨や皮だけの猫や、病気にかかってしまった猫たちがその悲惨さを物語っている。犬猫たちは、「人間より下」「もの」ではなく、私たち人間と同じ命の重さ、同じ地球上で生きる仲間なのだと私は思っている。動物と一緒に暮らすのならば、覚悟が必要であり、責任を持って最期まで見届けることが義務だ。動物たちに心いやされる経験を何度もしている私からすれば、人間にものをもらわなければ生きていけない犬猫たちは弱い存在である。皮肉なもので、身勝手な理由によって動物たちを傷つけるのも、その動物たちを救うのも人間なのだ。この記事を読んでから、そのことが頭から離れなくなり、私に何かできることはないか、そればかり考えていた。記事内の団体は資金や物質が不足しており、節約しながら日々を過ごしているとのことだった。私は思い切って家族と話し合い、療養食缶二ダースをお年玉の中から寄付することにした。私がしたことはとても小さいことであり、全ての猫を救うことはできないのかもしれない。しかし、それをしたことによって一匹でも命をつなぎとめることができたらという思いでいっぱいだった。後日、団体から「お腹の調子の悪い子や食欲のない子たちに嬉しいご飯です。ご支援、ありがとうございます。」と、お礼のメールが届いた。これを読んだ時、私は相手とメールでつながることができ、感謝されたことが単純に嬉しかった。

 私はこの新聞記事に出会ったことで、心揺り動かされ、行動を起こした。こんなことは初めてだった。誰かのために何かするということは、とても勇気のいることだと思った。しかし、今はとてもすがすがしい気持ちである。一歩を踏みだすこと、それが大事なことなのではないか。新聞記事によって、その一歩を踏み出すことができた。このことは、私の将来への大きな自信へとつながった。

課題(1)(神奈川新聞 7月25日付)
「里親探しに奔走」


中学2年生の部 入選

命の尊さ
鎌倉女子大学中等部 二年 佐野 優姫

 私はどんなニュースで感想文に取り組むか考えていたら、今までにない、ショッキングな事件が目に止まりました。「人を殺してみたかった。」と言う見出しでした。一体どういうことなのか、読んでみたら、あまりのすごさに、心が痛みました。この高一の少女は、私と年があまり変わらないので、読んでいたら、手が震えて、胸が苦しくなりました。殺した後、頭と手首を切断していたことを知りました。少女はきっとどこかでSOSを出していたのではないか。と思いました。大切な時期に相談する家族がもっと彼女の為に真剣になってあげていたら、このような事件は、防げたのではないかと、私は思いました。きっと彼女は淋しがりやの性格で、母親の死・父親の再婚・思春期だったので、心に大きな影響があったこと、それから、小学校のときから親から「こうしなさい。」とか言われて、あまり自由にできなかったこと。それらのことが、全部裏目に出てしまったのではないかと考えました。父親が再婚したときに、マンションに一人で暮らし始めたことが今回の事件に結びついたような気がします。高一は、大人のようで、まだまだ、親に世話をしてもらいたい年ごろだし、毎日家族皆と食事をして、学校で、一日あったことの話をしたりして、なんとなく過ぎていく時間が大切だと思います。私も、学校であったことを、家に帰ったときに話します。そうしないと、私が学校で、何をしているか、親が分からなくなると思うからです。良いことも、悪いことも全部話すので、怒られるときもあります。そのときは、話さなければ良かった、と思うこともあります。でも、お母さんは、働きながら、私を育ててくれます。だから、私もお母さんの頑張りに、少しでも応えようと思っています。新聞にも書いてありましたが、「命の教育」、命を大切にすること、言葉では、わかっているのですが、実際に、どれだけの生徒が心から、自分達が生きていることのありがたさを実感できているのか、道徳の時間だけでは、深く考えられなかったと思います。私もそうです。口では、生まれてきて、食べたい物を食べ、やりたいことをして、自由気ままに過ごしてきたことを幸せだ、と言っていますが、心の片隅では当たり前に思うことが、あったと思います。

 ある学校では、赤ちゃんなどの小さな命に触れたり、戦争経験者から話を聞いたりして命の大切さを伝えようと努力していました。それなのに、「事件を起こした少女に十分伝わっていなかったとしたらとても悲しい」と語っていました。

 私は、「命の教育」も大切ですが、いじめ問題も皆と話し合った方がいいと思っています。クラスの仲間にとけ込めず、いつも一人でポツンとしている人がいないか、どうか、もしクラスでそのような人がいたら、声をかけてあげたら、いじめから起きる自殺もなくなると思うし、せっかく生まれて、一度しかない人生を自分の為だけではなく、少しだけ人の為に使ってみたら、このような事件は、起きなくなるのではないかと深く考えさせられました。

課題(1)(読売新聞 7月29日付)
「人を殺してみたかった」ほか


中学2年生の部 入選

歌と平和
神奈川県立相模原中等教育学校 二年 旦部 遥奈

 私は歌うことが大好きだ。歌うと気持ちがすっきりするし、とても楽しいからだ。よく友達と一緒にカラオケに行って、流行の曲から時には演歌まで歌いあかす。私の至福の時間である。

 そんな私にとって気になる記事があった。

 ユダヤ・パレスチナ合唱団

 ユダヤ人とパレスチナ人が対立しているのはテレビで観て知っていた。だから最初は仲が悪くて歌など本当に歌えるのだろうかと思っていたが、そうではなかった。彼らは音楽を通じて交流を深め、お互いに歩みよろうと努力しているのだそうだ。

 かっこいいと思った。歌というものの意味が自分と全く違い、強い意志があることに驚くと同時に「音楽の凄さ」を感じた。きっと彼らはこの合唱団に入っていなかったら出会うことも語り合うこともなかっただろう。仮に出会っても、初めて会ったしかも対立する相手と互いに深く語り合うことはないと思う。合唱団で一つの音楽を作るという目標があるからこそ話し合い、相手を知ることができたのだと思う。

 私は去年の合唱祭を思い出した。あの時、普段あまりしゃべらなかった友達が歌を良くするための意見を出してくれて嬉しかったのを覚えている。

 歌は楽しみのためだけでなく、互いを知り、友情を育むきっかけにもなるのか。音楽って凄い。

 もう一つ感じたことがある。それは、私達と彼らの「平和」に対する温度差だ。私達は日本や世界の過去の歴史を先生に教えられる。過去の恐ろしい戦争について語られ、絶対に繰り返すべきでないということを頭で理解する。へえ。怖いな。大抵の人はこれで終わる。いわゆる「受動的な」教育を受ける。一方の彼らはどうだろう。間近で争いを体験し、その恐ろしさが私達の何倍もよく分かっていると思う。その怖さを現実に味わうことで、自分達でより「能動的に」動こうとしているのではないか。もしかしたら、否が応でもそう動かざるを得ない状態になってしまっているのかもしれない。

 もちろん、日本と彼らの国とは背景があまりにも違う。日本は平和で、それは何より一番良いことだと思う。しかしそれでも意識に差がありすぎるのではないか。

 毎日毎日、私が友達とカラオケで歌っていたときも、そして今この時にも、争いによって犠牲になる人はいる。それは普段楽しく暮らしているときにはきっと気付かないがこうやって平和と向きあうと心が重くなる。今も誰かが亡くなっていると思うとやはり悲しい。合唱団に加入しているのは高校生だ。私と年齢的にはさほど変わらない。彼らが私の何倍も近くで争いに接していると思うと、とても残こくなことだと感じる。

 彼らを見習って、平和のための姿勢を考え直すべきだ。争いのない国の平和の在り方を見つめ直すべきだ。

 ぜひ彼らには、争いのない世界で人々を楽しませるためだけに歌ってほしいと思った。

課題(1)(日本経済新聞 8月14日付)
「対立越える調べ 日本に」


中学2年生の部 入選

いつも笑顔で
横浜英和女学院中学高等学校 二年 山田 菜月

 記事の上の写真は、新聞を読んでいた私の目にすぐに飛び込んできた。人を幸せにするほっこりとした笑顔に引き込まれたのだ。しかし、その笑顔は大きな悲しみを乗り越えた望月さんにしかできない笑顔だと思った。夫・一衛さんの三十七歳という早すぎる死。私がもし、望月さんと同じ立場だったらおそらく二度とクラウンの仕事はできなくなって、ずっとふさぎ込んでしまう。きっと他の誰もがそうなってしまうのではないだろうか。

 でも望月さんは違った。「All for you, It’s my pleasure.(あなたの喜びは私の喜び)。」悲しみを笑顔に変えたのだ。どんな時でもクラウンの役割である〝人を楽しませること〟を忘れない望月さんの生き様に心を打たれた。

 望月さんは笑顔をこう訳している。〝副作用のない特効薬〟と。私が笑顔を見ていつも感じるのは〝喜び〟だ。どんなささいなことでもいい。クラスで友達と共通の趣味の話をしている時。道端できれいな花を見つけた時。楽しみを一緒に分かち合う時。いつもそこには変わらず笑顔があふれている。皆が笑顔だと周りの人にそれが移る。笑顔は人を豊かにすると私はそう思う。

 私は今まで、笑顔=自分が楽しい時の表情と考えていた。でも今の私はもう一つの意味を知っている。〝人を喜ばせる笑顔〟だ。「笑いには心を前に進める力がある。」確かにそうかもしれない。以前、私が落ち込んでいた時に、近くにいた友人が笑顔ではげましてくれた。その時、私の心はふわっと軽くなって今まで悩んでいたのが嘘のようになった。ケンカをしていたわけではないが、仲の良い友達と話せていなくて気になっていた時、ほぼ同時に、「あのね。」と、話を始めてそれがあまりにもおかしくて思わず大爆笑したこともあった。初めましての友達なのに、同じタイミングで笑いそれがきっかけで親しくなれたのもそこに笑顔があったからだ。笑いは人と人をつなぐと思う。

 私といえば、小さい頃から全く変わっていないと言われるほど、何か嫌なことがあるとすぐに泣き出し、それが長々と続く面倒な人だ。だが私はもう、すぐにできないと決めてかかるのはやめようと思う。何かつらいことがあっても、鏡の前に立って自分の笑顔を見てみよう。きっと前に進めるはず。私にも少し自信がついた。

課題(1)(読売新聞 7月20日付)
「天国の夫へ笑顔の決意」

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