2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

中学3年生の部 優秀賞

つなげていく言葉
湘南白百合学園中学校 三年 渡邉 佳穏

 「みんなおいしくいただきました。」

 と、八十七歳の祖母はいつも食事の後につぶやく。その言葉には作ってくれた人への感謝の気持ちもあると思うが、それ以上に深い意味があるのを私は知っています。

 この夏休み、新聞を広げているとある記事に目が止まりました。その記事は当時小学三年生と五年生だった方が疎開を経験されたときの話が書かれていました。

 疎開については学校でも習ったことはありますが、当時子どもだった方の気持ちを知ることは初めてでした。大豆を一時間もかけて食べたり、タニシをたんぱく質として食べていたことは想像もしていませんでした。そんな中でも、「およばれ」や皇后陛下からのビスケットがあったりと、ほんの一瞬でも幸せなときがあったのだと知り、少しホッとしました。「私たちの世代は子どもを戦争にやらなかった。子の世代も、それを引き継いでほしい」と、疎開のときのお話をしてくださっている桑原さんがおっしゃっています。この言葉は実際に疎開を経験した方でないと語れない、本当に重みのある言葉だと思いました。だからこそとても心に残っていて、私たちが戦争をやらない国づくりを引き継いでいかなくてはいけないと思います。

 私には、疎開という言葉を聞くと忘れられない話があります。それは、一年前に祖母がしてくれた話です。当時祖母は教育実習生として小田原へ小学四年生の子どもたちに付き添い、疎開していました。祖母はもう二十歳だったため、食事についてそれほどひもじさを感じなかったが、子どもたちにとっては十分ではなかったと言っていました。疎開してしばらくしたある日、横浜の方が空襲にあっていると聞いた祖母たちは急いで近くの小山へ見に行くと、家族が住んでいる横浜が煙に覆われていました。祖母は息をのみ、声も出なかったそうです。しかし子どもたちは家族がどのような状況かわからないなか、泣きさけぶこともなくじっと煙を見つめていました。その必死に我慢する様子がいたたまれなく、一緒にいて何も出来ない自分がとてもつらかったと祖母から聞きました。

 私はこうやって戦争を体験した祖母から当時の話を聞くことができますが、私の子どもたちには生の声を聞かせてあげることができない。だからこそ、祖母から教えてもらった当時の気持ちをしっかりと伝えなくてはいけない責任が私にはあると思います。

 祖母の「みんなおいしくいただきました。」の言葉には、疎開当時の子どもたちとの生活で感じたことがたくさんつまっていて、無意識に出ているのだと思います。今の私から無意識に出ることはないけれど、いつか祖母くらいの年になったとき、自然と口から出ていたいと思います。そして、自分の子どもや孫たちにも祖母の思いを伝えていきたいです。

課題(1)(朝日新聞 8月7日付)
「疎開 舌に残る一瞬の夢」


中学3年生の部 優秀賞

新聞レボリューション
横浜市立青葉台中学校 三年 大澤 一葉

 もし自分が新聞記者だったら、新聞レボリューションを起こしてみせます。インターネットをはじめ、新聞以外のメディアがいくつも台頭し、新聞とはなにかが改めて問われる時代です。私が新聞記者だったら、新聞の世界に大旋風を巻き起こしたいのです。

 方法は単純です。新聞らしさを捨てながら新聞らしさを活かすのです。矛盾していますが、これが秘策です。

 新聞らしさとは何でしょうか。まずは新聞のイメージ。よく言えば「大人、知的。」であり、悪く言えば「おやじ的、まじめすぎ。」とも言えます。また、新聞は紙媒体であることに「らしさ」が潜んでいます。速報性はデジタルに任せてしまい、紙としての形や重さに「らしさ」を見いだします。

 ターゲットは、完全に活字離れした、若い女性です。「新聞なのに可愛くて楽しい」「新聞をかばんに差して歩くのがおしゃれ」「活字を読む事が実はかっこいい」と思われるような新たな新聞を作り、記者の立場からあらゆる角度で戦略を練ります。

 取材ネタは若い女性が興味を持つようなかわいいものに限定します。しかし、執筆の際には「大人で、知的な」新聞らしさを保てるよう、内容は緻密でまじめな、少し難しめなものとします。単に「可愛くて楽しい」だけであれば、行き着く先は「雑紙」であって、それは新聞とは言えなくなるからです。

 編集・企画に際しては、あらゆる手を尽くして「五感に訴える」ことを意識します。画面上のデータではない実物だからこそ、人間の本当の感覚、五感によりそうことが可能なのです。新聞らしさを失わないとはそういうことだと考えています。

 例えば、上品でカラフルな色合いの紙面は遠くから見ても視覚的効果があります。力のあるデザイナーと組んで、おしゃれアイテムの一つとしての新聞の魅せ方を模索します。女性に受け入れられるには、まずは「持つ」ことがカッコいい、となる必要があるのです。

 あるいは、香りや香水について掘り下げた記事を連載し、新聞紙にその香りをつけてしまうのはどうでしょう。新聞が香水の代わりになるのです。さらに、世界のミント特集、香辛料特集などを大真面目に連載しながらも、毎回違うミントペーパーや使い切り香辛料が付いてくる。それが食堂やカフェで話題になって口コミで広がっていくのです。つまり、おまけ付きの新聞です。子供の頃におまけつきのおもちゃがあり、親にねだったものですが、まさにあの感覚が大事なのです。

 おしゃれアイテム、香り付きやおまけ付き、「そんなものは新聞記事じゃない、記者の仕事ではない」と言われてしまうかもしれません。しかし、五感に訴えるこれらの手法はインターネットやテレビ・ラジオでは為し得ないこと、形のある新聞だからこそできることです。新聞レボリューションと言うからには多くの人に批判されるくらいがちょうどいいのかもしれません。

 現実にはいろいろな障害があるはずですが、全く不可能な話でもない、と思います。自分が新聞記者であったら、「大人で、知的」そして、「かわいくて楽しい」新しい新聞の世界を切り開いてみたいです。その先には、新聞記者の仕事が女性のあこがれの仕事になる、そんな夢さえも見えてきます。

課題(2)「もしも自分が新聞記者だったら」

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