2014年 第6回かながわ新聞感想文コンクール

中学3年生の部 優秀賞(神奈川新聞社賞)

祈りを翼にのせて羽ばたけ
鎌倉女子大学中等部 三年 北川 真衣

 折り鶴には、無限の力があると信じたい。この記事を読んで、私はそう思った。ふと、小学生の時の出来事がよみがえる。

 「こうして羽を広げたら、できあがりやね。」

 小一の夏休み、私は関西に住む祖母の家で折り紙を習っていた。祖母の指先が折り紙の上を何度もすべる。一枚の折り紙から、きれいな折り鶴がうまれた時、私はとても感動した。祖母に何度も作り方を訊いて自分で折ってみるのだが、なかなか上達しない。

 「大丈夫。練習すれば、じきに上手くなるよ。」

 祖母の言葉を信じ、私はその夏、折り鶴をきれいに折る練習を重ねた。

 その三年後、祖母が突然倒れた。私は自分で何か出来ることはないか、懸命に考え、思いついたのが、鶴を折ることだった。必死に祖母に教わった作り方を思い出して、折り紙と格闘する。数日後に、百羽を作り上げ、つなげたものを持って、病院を訪ねた。すると集中治療室にいた祖母が、ふと目をあけて、とても喜んでくれたので、看護婦さんがベッドの横につるして下さった。

 「早く元気になりますように。」

 折り鶴に込めた思いが通じたのか、やがて祖母は歩けるまでに回復した。

 だから、この折り鶴の記事を紙面で見つけた時、私はその内容に釘付けになった。

 被爆経験のある方たちで結成された「川崎折鶴の会」は、六年前から広島と長崎に祈り鶴を届けているという。会長の森政さんは、爆心地から三・七キロの広島市内の学校で、被爆されたそうだ。自らの辛い記憶というのは、心の奥底にしまいこみがちなのに、森政さんは違った。被爆して亡くなられた人々に思いを馳せながら、今日も戦争を知らない世代の人に、真実を語り継いでいる。森政さん自身、被爆し、一瞬にして多くのものをなくされた。悲しい現実に背を向けたくなった日も数知れないだろう。それでも日本が二度と戦争をしないよう、平和を祈る気持ちを伝えていらっしゃる姿に、感銘を受けた。

 鶴は折り紙を折っては広げ、折っては広げを繰り返す細かい行程を経て、初めて一羽が完成する。ひと折りひと折りするたびに、折る人は受け取る側の幸福を願い、その気持ちを受け取って、鶴は羽ばたく。

 日本が誇る折り紙の文化が、戦争の悲惨さを伝えてゆく。私は鶴を折って届けるこの活動に心を打たれた。

 第二次世界大戦が終わって以降、日本は現在に至るまで平和を築いてきた。今、この国は平和で恵まれている。

 しかし、今日もどこかで国と国、民族と民族の対立で、罪のない人が命を落としているという現状がある。私よりうんと小さい子どもまでもが、紛争の巻き添えになり、苦しんでいるのだ。決して他人事で済ませて良い事実ではない。

 一体、私たちには何ができるのだろうか。

 ふと気づくと、私は手に折り紙をとっていた。

 中学生の私にできることは限られている。しかし、平和の願いを込めた鶴を折ることならば、できる。その思いが二羽の折り鶴になった。妹が作った少し不恰好な鶴と、私の折った鶴だ。日本が二度と、戦争の加害者にも被害者にもならないように、そして、世界の紛争地域に住む人々が、一日も早く平和な生活に戻れるように、祈りながら折った。

 この二羽の寄り添う鶴のように、全ての国と国同士が、互いに助け合える関係になれないものだろうか。

 私は、また折り鶴をたくさん折ろうと思う。折鶴の会の人たちと同じ、平和の願いを折り込んで。

課題(1)(神奈川新聞 7月30日付)
「平和の願い折り鶴に」

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