神奈川NIEミーティング

NIEミーティング議事録 2014年4月18日(金)

NIE全国センター会議室場所 NIE全国センター会議室
参加者数 17名
司会 重松克也(横浜国立大学教授)
記録 塚越真里子(横浜国立大学大学院生)
内容
1.参加者による「本日の新聞」紹介
しらす漁、米との関税、通知表の誤表示、韓国フェリーの事故、コンビニ出店形態の変化、国会でのスマホ解禁か、道州制、日米留学生倍増、など。
2.本日の報告
報告者:望月先生(神奈川県立有馬高等学校社会科教諭)

(1)『現代社会』教科書における新聞活用の位置づけと、生徒の実態の状況

2013年度と2014年度版とでは、教科書内(『現代社会』)の新聞活用に関する記述量が増えたことを実際に資料で確認をした。そして、このことが新聞というものに対する地位の向上につながってきたとも言えるのではないか。

しかし、一方で生徒たちは今まで新聞を使った授業を受けたことはあるか、という質問に、受けたことが無い、と答える生徒がほとんどであった。

実際にとったアンケート(72名)をもとにして↓

@新聞を取っている。
Yes:51名
No:21名
A新聞を取っていない人は、新聞を読む機会はあるのか。
全くない:17名
月1〜2回読む:9名
週1〜2回読む:1名
B毎日新聞を読んでいる。
Yes:5名
No:67名
C新聞をどれぐらい読むか(時間)
5分:3名
10分:3名
D新聞のどこを読むか。
テレビ欄:46名
日本社会のニュース欄:18名
スポーツ欄:15名
海外ニュース欄:12名
県内ニュース欄:11名
コラム:2名
家庭生活欄:1名
投書欄:1名
高校入試関連記事:1名
E何でニュースをみるか。(媒体)
新聞:9名
テレビ:53名
スマホ:37名
PCインターネット:21名
親に聞く:1名
F最近新聞を読んだのはいつか。
今朝:1名
昨日:3名
3日前:10名
1週間前:12名
1カ月前:10名
G最近のニュースで関心をもったことは何か。
STAP細胞論文、消費税増税など

これらの結果から読み取れることは、今まで新聞は社会科の授業に役に立つツールであったが、今は「新聞を見てみなよ」と言えない状況にある(新聞だけが情報のツールではない)ということであり、授業で取り上げる場合には、何らかの工夫が必要である。

(2)実際の授業で使える新聞の活用法の例

砂漠で乾燥したヤシの木の枝を拾う少女の写真を提示する。このような新聞記事の写真を使いながら、これは一体何をしている写真なのかを生徒に問う。この写真から読み取れるポイントとして、乾燥したヤシの木の枝、砂漠が挙げられる。実は、この枝が燃料として使われたり、砂漠の砂が逃げるのを防ぐために束ねて柵をつくったりすることに使われているのである。このように、一見すると何の写真か分からない写真を新聞の中から持ってきてフォトランゲージとしての活用もできる。しかし、残念なこともあり、それは新聞に掲載されている写真の中で、このようにして使える(一見何の写真かわからない)写真が少なくなっているということである。(恐らく、いわゆる良い写真にはお金がかかってしまう部分があるのかもしれない…新聞社の経済の現状。)

(3)有馬高校でのNIE実践(昨年度)の報告

有馬高校で昨年度社会科を教えられていた小池先生のNIE実践を紙面上で報告した。この実践はNIE実践の中でもオーソドックスなやり方(新聞を読ませて使う)が中心であり、また朝自習で週一のテスト(時事)にも活用していたということである。その中でも、選挙について扱った回では新聞紙上で選挙関連の記事等を使い、読み取り、まとめ、最終的に模擬投票をしてみる、という実践が報告された。結果は次の通りである。

模擬投票
生徒数:274名
投票数:94名
⇒投票率=約30%

最近の議論の中の話にも挙がるが、選挙権が18歳に引き下げられようとしているという社会の流れもあり、自ら政治に関心を持ち、調べ、投票するという、自分から政治に参加する人をこのNIE実践で育てることに繋がることはできないだろうか、という教師側の思いもあった実践である。

(4)質疑応答

Q.「模擬投票は実際にやったの?どういう方法で?」
A.「授業の中でやって、その時間に投票する人は来てください、というやり方だった。」

Q.「新聞を知らないという子が多いというが、NIE普及の実態はどうなのか。」
A.「使ったことが無い子はいるが、正直なところわからない。」「教科書に載っている新聞を使ってしまう、実際の新聞を取り入れていないという状態があるのかもしれない。教科書の中でやった方が達成感があるのかもしれない。時数の制限もあり、厳しい現実がありますね。」

Q.「教科書に新聞を扱う内容が載っていても、とばすこともありますか?」
A.「学習指導要領にのっとって、扱ってはいるはず。」

Q.「国語で新聞を使うことについてはどうでしょうか。」
A.「久本先生は書き、に力を入れていた。細かい説明や数字がある方がわかりやすいという点にも重きを置いていた。…しかし、どの新聞を取っているのか、という質問に対するクレームも最近では増えてきていて、それすら聞けない状況になっている。」

Q.「模擬投票ですが、ネットにしたら投票率が上がると思いますか。スマホとか使って。」
A.「うーん、上がるような気が私はしますが、わからないですね…。」

Q.「便利だと投票するようになるのか?投票するのは関心があるからするのか?生徒が興味を持たないというけど、どうやったら社会に目が向くのかね。」
A.「たしかに生徒たちはスマホはよく使っているけど、投票率につながるのか…?結局は、生徒が政治に関心を持ってくれるように、考えていく力をつけさせることができるように。」

Q.「インターネットには模擬投票サイトというものもあるが、そういったサイトなどにも関心があるなら、授業でタブレット代わりにスマホを出してもらって、授業中に模擬投票することも、すんなりできそうではないか。」
A.「投票率は、高ければいいというものでもない。テレビと新聞のちがいとか、新聞を読むことが面倒くさいと思ってしまっても面倒くさいことを面倒くさいこととしてやらないと…。」

Q.「模擬投票について、どこの党がいいとか自分はどう思うとかの判断の上での投票と、ただ形として投票するという行為はイコールではないのではないか。望月さんは、判断できるとはどういうことだと考えていらっしゃるのでしょうか。」
A.「社会に対する関心を今の子たちは昔に比べて持っていないように感じる。昔よりも本や新聞を読んでいないし、議論をするということも少ない。その中で投票権を18歳に引き下げてしまっても大丈夫なのか、とは思っている。」

Q.「小池先生の実践は、生徒が自ら新聞や社会に対してアプローチして、生徒自身が自分の生き方を考えたりできるようにすることが少ないのではないか。先生が授業に合わせて記事をセレクトしてしまっている印象が強い。先生は必死に記事に取り上げられている人や出来事を自分のことのようにとらえさせようとしているのかもしれないが、生徒は自分のこととしてとらえることができていない。」
A.「夏休みに、コンクールなども活用しながら、生徒が自ら記事を選んで、関心に応じてインタビューなどもしたりする中で、生徒自身が考えられるように、ということもできるなと思う。」

Q.「指導要領に新聞が取り上げられた背景は何か。かつての社会科の授業は、毎回の授業のはじめに、今日の新聞記事は何であったか、を問いかけていた。それは民主主義、シチズンシップ育成のためであった。」
A.「新聞には資料としての役割があると教師は考える。有馬高校の子たちは真面目で、エネルギッシュである。そんな子たちでも、新聞を読むことは嫌だ、という。資料の一つとして新聞が組み込まれてしまっているから、生徒のエネルギーが発揮できていない。有馬高校の生徒たちは、体を動かすことで頭を動かすとエネルギーを発揮できるタイプ。アクチュアルな問題に正面からぶつかっていけ!と、教師は新聞の使い方を考えなければならない。教師はもっと新聞の使い方をドラスティックに変えていくことが必要ではないか。エネルギーに溢れる生徒らがいるのに、その力をうまく引き出せていない。」「生徒にはやはり議論をしてもらいたいが、日本人は外国と違い議論することが苦手とされている。」

Q.「日本人は自己主張できないといわれるが、欧米には「言わないと損だ」という文化があり、日本には「言わない方がいい」文化というものがあるのではないか。」
A.「議論について、話が挙がっているが、おしゃべりの文化が無くなってしまうことが怖い。ディスカッションやディベートのやり方だけ教えても意味はない。新聞を取っていない子がいても、それは取っている子とそれぞれもっているツールを交換したり補ったりしながら、おしゃべりできるといい。全うなことを言わなきゃ、しなきゃという思いがあることが、おしゃべりすらなくしてしまうのではないか。」

Q.「家庭に新聞がない、大人は皆新聞を読んでいるのが当然という風潮が今はあまりないのかもしれない。昔は一人前の大人の素養として、新聞を読むことの必要性があったが、今は新聞の必要性が感じられていないのではないか。新聞を読むことの魅力を伝えられたらいいと思うが、生徒にどのような話をしているか。」
A.「新聞の場合は、関連する問題に気づいていけるのではないかと思っている。世の中について何か発見があるといい。」

Q.「今の大学生たちは、新聞を読んでいないことのうしろめたさが無くなりつつあるのではないか。スマホで読んでいるからいい、という開き直りとか。」
A.「たとえばシンガポールの場合は、新聞はなくてはならないものであり、識字学習でもある。」

(5)まとめにかえて

以上のようなやりとりがあった。このやりとりの中で印象に残っているのは、新聞を活用するという場合に教師が自ら記事を選択して授業で使っている場合が多いのではないか、という点である。教師が選んでしまうと、生徒はそれを“読まなくては”という思いになってしまう。それは生徒の力になる以前に生徒が自ら新聞に向かう、という姿勢を薄くさせてしまうかもしれない。新聞を活用しなければ、というのではなく、この新聞を使ってどんなことができるのか、この記事からどんなことが学べるのか、それを教師の側からではなく生徒が自ら興味を持った記事や気になった記事から考えていくことができればいいのではないか。“今日は、ちょっとこの新聞から何かを考えてみようか”、という一歩からNIEが始められたら、と感じている。