神奈川NIEミーティング

NIEミーティング議事録 2016年5月20日(金)

場所 神奈川新聞社
参加者数 25名
司会 金子幹夫(神奈川県立平塚農業高等学校初声分校)
記録 萩原秀文(横浜国立大学大学院生)
内容
1.会長挨拶
2.高木まさき先生のご講演
3.質疑応答

ご講演テーマ 「アクティブ・ラーニングと国語の力」

 グローバル化や情報化の中で、将来の予測が困難な複雑で変化の激しい社会となった。そこで、「社会に開かれた教育課程」の視点に立ち、社会の変化に適応できるような育むべき資質・能力を明確に教育課程全体の中で示す必要性がある。

 育成すべき資質・能力の要素は、(1)「何を知ってるか、何ができるか(個別の知識・技能)」(2)「知っていること・できることをどう使うか(思考力・判断力・表現力等)」(3)「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びに向かう力、人間性等)」の3つである。(1)では、社会で活用できる知識・技能として体系化しながら身に付けることを重視する。(2)では、問題発見・解決と対話や議論を通じた協働的問題解決が求められる。(3)では、上記二つを働かせる方向性を決める重要な要素として位置づけられ、態度や情意を含んでいる。

 これらの資質・能力を育成するためには学びの質や深まりが重要であり、子どもたちが「どのように学ぶか」についても光を当てる必要があるという認識のもと、「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)」が検討されてきた。アクティブ・ラーニングは、特定の型を普及させるものではなく、質の問題である。そこで、(1)「習得・活用・探究という学習プロセスの中で、問題発見・解決を念頭に置いた深い 学びの過程が実現できているかどうか」(2)「他者との協働や外界との相互作用を通じて、自らの考えを広げ深める、対話的な学びの過程が実現できているかどうか」(3)「子供たちが見通しを持って粘り強く取り組み、自らの学習活動を振り返って次につなげる、主体的な学びの過程が実現できているかどうか」が求められている。

 アクティブ・ラーニングは高等教育で求められたものであった。知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的な学修によって、主体的に考える力を持った人材の育成が図られた。

 上記で述べたようにアクティブ・ラーニングは質の問題である。子どもたち自身が意識を持って、主体的・協働的に学んでいくことを、大きく「アクティブ・ラーニング」と表現している。アクティブ・ラーニングの視点は、特定の学習・指導の型や 方法の在り方ではなく、習得・活用・探究の学習過程全体を見通した不断の授業改善の 視点であることに留意する必要がある。したがって、アクティブ・ラーニングは型ではなく、深い学びのための条件であると言える。

 深い学びへのアプローチとしては、これまで持っていた知識や経験に考えを関連づけること(1)パターンや重要な原理を探すこと。(2)根拠を持ち、それを結論に関連づけること。(3)論理や議論を注意深く、批判的に検討すること。(4)学びながら成長していることを自覚的に理解すること。(5)コース内容に積極的に関心を持つことが挙げられる。

 アクティブ・ラーニングは言語活動とも深い関係性を持つ。アクティブ・ラーニングを言語活動が支えている。書く、話す、発表する、論じる、振り返るなどの言語活動を支えているのは、言葉の力である。どの教科でアクティブ・ラーニングをするにしても言葉の力は必ず関わりを持つ。また、アクティブ・ラーニングをすることによって、もともとあった言葉の力を高めることもできる。

 言葉の獲得過程として「富士山モデル」を提唱する。私たちは様々な言葉を知っているが、正確に使える言葉と、正確には使えない言葉がある。正確に使える言葉は「正確に使える領域」にあり、富士山の白い部分にあたる。正確には使えない言葉は、「だいたいの領域」に貯めてあり、富士山の青い部分にあたる。正確に使えない言葉は何かをきっかけに「だいたいの領域」から「正確に使える領域」に上がることがある。その際、正確に使えるようになった言葉はほかの言葉を「だいたいの領域」から引っ張り上げる。「だいたいの領域」が広いことが「正確に使える領域」を広くする可能性を秘めている。その意味で、「だいたい」も学力のうちという発想をする。大量の「言葉のシャワー」を浴びさせることによって、「だいたいの領域」を広げることができる。

 本や新聞を通して大量の言葉に触れることが言葉の力を高めるために重要なこととなる。また、アクティブ・ラーニングのなかで、様々な言葉と出会い、使ってみることで「だいたいの領域」を広げることができる。アクティブ・ラーニングを支える言葉の力は、アクティブ・ラーニングによって、言葉と出会い、使うことによって「だいたいの領域」を広げ、そのことが「正確に使える領域」も広げ、高めていくことができる。

質疑応答

Q:理科では、課題解決学習がある。課題を見つけ、実験しようというものであるがこれは、アクティブ・ラーニングであるように思えたが、アクティブ・ラーニングと課題解決学習との絡みはあるのか。
A:文部科学省では、実験もアクティブ・ラーニングに含まれている。その実験がより大きい生物学といった領域に位置づけられるか、興味が広がるかといったようなこととリンクしているか。その場だけにとどまらず、より広い理科的な興味などにつながる方向性にあるかということが大事である。実験は、形だけでいえばアクティブ・ラーニングだが、そこからさらなる興味・関心へ広がっていくかが重要である。
Q:高校では、実験・観察をほとんどやらない実態がある。大学入試を意識しているようだが、この実態は本当にあるのだろうか。
A:実験をしている学校もあるがケースによる。だが、大学入試の問題は絡んでくると思う。大学入試とあまり関係がなければ実験・観察は行われているかもしれないが、入試を意識すれば入試対策のトレーニングを重視する傾向も出ているのかもしれない。
A:やっている人はやっているかもしれない。しかし、時間数の制限もあって、省かれる実験もあるのではないだろうか。高校の勉強は学問の入り口である。授業でやったことを自ら深めなければより深い理解には至らないだろう。授業ですべて教えきるのはなかなか難しい。興味を持つ実験を毎回はできないとしても効果的に行わなければならない。実験・観察を行っていないということは問題になっている。ただ、入試の問題もやり方次第で、答えを示し、なぜその答えに至るのかをディベートするといったこともできる。入試問題もやり方次第でアクティブ・ラーニングとなり得る。工夫の余地はある。
Q:学びに向かう力の重視に共感を覚えた。学校でキャリヤ教育を行う際に、内発的なものを重視している。外部の方の話を聞き、それを自分なりにどうとらえるのかということを意識的に行っている。しかし、先生たちのなかには、自分が小学校の頃に学んだ学習スタイルをそのまま継承してしまうということがある。どうしても形式に当てはめてしまいたがる傾向があるように感じている。その中で、振り返りをどうとらえていけばよいのだろうか。私自身は自覚だと考えている。その授業でどのような力が身についたか、成長したかということを自覚させるものだと思っている。
A:どの力を身に付けるかということで学習を狭めてはいないだろうか。形式に当てはめたがる先生の中には安心したいということがあるのではないだろうか。振り返りのなかで、作品の発見や子どもの発見がある。なぜ、その子がそのように作品に触れたかということを子どもと一緒に考えることで、自分と相手の比較などが表れ、学習との結びつきが出てくるであろう。これは、振り返りのなかに組み込んでいくことができる。
Q:指導方法の見直しは先生を呪縛から解放する意味合いがあると思う。しかし、分厚い教科書をやらざるを得ない中で、指導方法を見直すことに対する納得がなければ、アクティブ・ラーニングは現実的にあり得ないと思う。その納得のキーワードは「新しい価値の創造」ではないだろうか。
A:求められているのは現状に対する気づきや解決力であるように思える。教科書のなかで書かれてしまっていることは多いが、子ども自身が考え、整理するということは「創造」である。そのような創造体験が重要なのではないだろうか。受け入れるのではなく、自分たちで考えるということが大きな創造につながっている。これは、先生自身にも授業の創造が求められている。自分の授業が何度も壊されながらも新たな創造を生み出し続けることが先生自身の成長にもなる。

感想

 高木先生はご講演のなかで、アクティブ・ラーニングは質の問題だと何度もおっしゃっていた。それは、アクティブ・ラーニングを行いさえすれば子どもの主体的な学びが実現するということではなく、子どもの主体的な学びを掘り起こすことが結果的にアクティブ・ラーニングになるということではないかと思った。子どもの主体的な学びと教材の中で、どのようにアクティブ・ラーニングを位置づけていけばよいかを考えてきたいと思った。