神奈川NIEミーティング

NIEミーティング記録 2018年7月20日(金)

内容
1.時事通信社横浜総局長 福山 亨氏のお話
2.実践報告「新聞切り抜きレポートの取組から」 相模原市立上溝中学校

1.時事通信社横浜総局長 福山 亨氏のお話

 ビジネス職として1989年に入社。写真ニュースや官庁、地方、本社金融、ニューヨーク勤務を経て昨年6月から現職。

 時事通信社の配信は、新聞記事のクレジットで分かる。記事を送り、新聞社の仕事を支えている。通信社の歴史は、産業革命により株式や為替市場がヨーロッパにできて、相場や戦争がどういう状況なのかをマーケットに早く伝えることから始まった。通信手段は伝書鳩だった。

 日本でも、もっと古くからそういう仕事はあった。1686年に書かれた井原西鶴の「好色一代女」には「北浜の旗商いする人…」とあり、飛脚や挙手信号、旗振り信号で相場を伝えたという。大阪には世界最初の先物取引所といわれた堂島米会所があった。当時、税として納めた米が全国から大阪に集まり、売り買いの市場の値段を知らせていた。大津にも米の市場があり連動し、京都や堺に消費地があった。関西の商人はそこに目を付け、飛脚より先に情報で伝えた。金融情報の提供という形で、同様に通信社の形態がおこった。

 洋の東西を問わず金融情報を伝えることから、ジャーナリズムに移行したのは、新聞との出会いがあった。新聞社に情報提供するということから、ジャーナリズムにシフトしたと言えるかもしれない。昭和に入り、日本電報通信社が圧倒的な強さを持つようになった。海外の情報を新聞社の企業向け広告枠と交換し、広告制作もするビジネスモデルが、近代化への転換点になった。それが戦時中の情報統制で、同盟通信社に集約されたが、広告部門が今の電通。戦後、GHQの自由競争の方針で、1945年に同盟通信社が自主解散し、共同通信社(社団法人組織)と時事通信社(社員持株株式会社)として分かれて創立された。

 近年、「通信社の岐路」にある。チャンネルは広がり、ポータルサイトなどの無料ニュースが登場した。アクセス数の多い順に広告収入から分配される仕組みで、センセーショナルな記事に走りがちな風潮になりかねない。これでいいのか、記事配信以外に何ができるか、自問している。紙面を持たず締め切りがない通信社の特長を生かし印刷コストからの開放、24時間365日の情報発信、さらに不偏不党や海外拠点の多さを国際化 が進んでいると捉え、情報ソルーションビジネスへと転換を図っている。読者の課題に応えていこうという取り組みで、成田空港や渋谷のスクランブル交差点のスクリーンにニュースや写真を掲出し、にぎわい作りをしている。金融機関には、米FRBの議長の会見内容を数時間以内に全文を日本語にして送っている。

 従来100%だったマスメディア向けのビジネスから金融機関、行政関係の課題を解決する情報サービス、さらに個人へのアプローチが増えてきた。例えばスマートスピーカ−の「アレクサ」で、ニュースを読み上げるサービスを昨年から始めている。

 みなさんと時事通信社との接点としては、教育専門誌「内外教育」を週2回発行している。1985年に創設した「教育奨励賞」で、昨年は寒川中学校が神奈川県で7年振りに受賞している。

2.実践報告「新聞切り抜きレポートの取組」 相模原市立上溝中学校

 中学2年生と3年生の社会科で、新聞切りぬきレポートの宿題を課してきた。ワークシートには、@切り抜き A記事の見出し B要約 C記事と自分との関わりやつながり D意見 を書かせた。時間的余裕がないため、事前指導をしないが、コメントを書いて返し、テスト返しの残り時間に聞き返すなどした。

 さらに、深めるアクションとして、4人グループで発表し、付箋での意見交換をさせた。自分のこだわりのあるテーマで記事を切りぬく生徒がいる一方、広い視野で多様な記事を切りぬく生徒がいて、個性を感じる。振り返りには、交流活動に対して好印象の言葉が見られている。今後も取組時間の確保の厳しい中でも、継続的に取り組みたいと考えている。