神奈川NIEミーティング

NIEミーティング議事録 2015年6月19日(金)

神奈川新聞社場所 神奈川新聞社
参加者数 15名
司会 臼井淑子(NIEアドバイザー)
記録 鈴木洋平(横浜国立大学大学院院生)
内容
1.参加者による「本日の新聞」紹介
安全保障関連法案、18歳以上に選挙権、横須賀基地に新イージス艦整備、大学入試改正、普天間基地の移設問題、箱根登山鉄道に特別列車運行開始など
2.本日の報告
報告者:山本麻美(横浜市立豊岡小学校)

報告「新聞を活用した授業」

「身近な情報からの命のネットワークへ
 −新型インフルエンザ情報からみる医療ネットワーク−」(小学5年 社会科)

【学習を行うにあたり】
 今回の学習は、6年前のものである。当時、山本先生が勤務していた小学校では、新型インフルエンザが流行り、学級閉鎖があった。児童たちは、新型インフルエンザに危機感を持つと同時に関心を持った。この新型インフルエンザをきっかけに、他教科でも使用している新聞を用いた学習を進め、医療ネットワークを取り上げ、双方向の情報について児童たちに考えてもらいたい。

【情報の単元から】
 「小学校学習指導要領 1998年 社会編」の情報の単元では、「ア.日常生活の中での情報産業と国民生活とのかかわりについて考える」、「イ.これからの(情報ネットワークなどの双方向の情報)と国民のかかわりについて考える」という文言がある。本学習では、「情報ネットワークなどの双方向の情報」に重点が置かれた。

 社会科における情報という単元を通して、児童たちが自分事として情報を捉え、情報と向き合い、行動してほしいと考える。そして、たくさんの情報に出会っていく児童たちが、どう情報を取捨選択していくか、またどのように情報メディアとしての新聞とかかわっていくかを考えてもらいたい。

【学習のながれ】
・児童たちで、新型インフルエンザについての記事を集め、読み合い、感じたことを話し合う。また、今回のインフルエンザ以前の記事を読んで、当時の対応について考える。
・同日の三社(朝日新聞、読売新聞、毎日新聞)の新型インフルエンザの新聞記事を見て、記事の書き方の違いを考える。
・新聞記事から、新聞記者(情報を伝える側)の思いを受け取り、彼らの責任について考える。
・様々な場所で生かされている医療ネットワークについて調べ、身の周りの人たち(医師、家族)に医療ネットワークに対する意見を聞く。そして、意見をもとに、医療ネットワークの良さと課題を考える。
・今までの学習をもとに、自分たちの身の周りの情報とどのように接していけばよいのか考える。また、多様な立場の人びとの考えをもとに、情報とのかかわり方について考える。

質疑応答

Q、授業後の子どもたちは?
・双方向の情報の価値を考えながら、いろんな情報と自分たちはどのようにかかわっていったらいいのかを考えていた。

Q、医療ネットワークが双方向の情報というのはどういうことか?
・発信して情報を受け取るだけではなく、その受け取った側がまた返すといったやり取りすることを双方向とした。
・医療ネットワークは、救急車と病院がやり取りしている。

Q、苦しい単元展開になってしまったのは、学習指導要領のアとイのつながりが見出させなかったからなのか、あるいは先に新聞、医療ネットワークを活用しなければならないと考えたからなのか。
・つながりで悩んだ。はじめは、新聞を考えてはいなかった。先に食の安全を考えていたが、新型インフルエンザが流行っていたためにきっかけとした。

Q、アでは新聞、イでは医療ネットワークと先に学習指導要領を置いてしまったため、やりにくくなったのか?新聞も一方向ではない。一方向や双方向の情報といったことは先に頭にあったのか?それとも後付なのか?
・当時、指導要領の解釈が不安なまま学習を行ってしまった。情報過多になっている状況で、一方向や双方向の情報の種類を学習するところなのかと考えていた。
・校内の研修会で、学習指導要領とのつながりが突っ込まれるため、授業を考えるとき、最初につながりを考えたため苦しくなった。

Q、子どもがその後どう変わったのか?
Q、学習指導要領を書いた人はわかっているのか。情報産業といってもよくわからない。
情報の一方向性や双方向性、情報の違い、情報と自分たちのかかわり方などを教えるためにインフルエンザのニュースを使ったのか。とっかかりとして新聞を使ったのか。全体のねらいはどのように置いたのか?
・医療ネットワークも情報であり、情報は自分たちの身の回りには多い。そことどうかかわっていったらいいかを単元を通して考えていければいいと考えていた。
・当時、多方向から情報が押し寄せ、次から次に一方向からの情報が押し寄せてくるイメージが強かった時期であっただろう。

Q、見出し、小見出し以外に、本文も比較したのか?
・本文も読んだ。ここでは見出しの部分に大きな違いがあった。

Q、見出しの違いから先生自身は、子どもたちに何を伝えたかったのか?
・国語でも、新聞を学習していて、見出し、小見出しが記事の中心のものと教えていた。ぱっと見た印象から、記事を読んでいくようにした。

Q、何時間も続けた中で、子どもたちはもったのか?単発でやらないと中学生でも持たない。頭いっぱいになってしまったのでは?
Q、新聞記事を拡大して教室に張られていた。新聞の記事は小学生向けには書かれていない。そのため語彙が難しいだろう。私自身は、新聞を扱う場合、分からないことに印をつけ、わからないことの意味をやって、それでもわからない場合は教えていた。新聞の漢字を読めないと情報が入らないのでは?抽象的な言葉で、子どもたちから質問はなかったか?
・子どもたちには、一枚ずつ印刷したのを配布して読んでいた。わからない言葉は先生が読んだり、友達同士で調べさせたりしていた。他にも声に出して読んでみたりしていた。
・記事をそのまま見せることは、迫力がある。
・写真に目を向ける子もいた。写真の大きさも大事。
・教科書でも紙面比較が出ている。見出し、小見出し、写真、本文という観点があっての学習だろう。
・インフルエンザの記事をたくさん集めてことが、紙面を比べることにつながる。

Q、「まちのお医者さんに聞いてみよう」は、個人ではできないので、班になってやったのだろう。全部個人でやることには難しいと思う。全員がアポを取って、話を聞けることはすごい。他の人の考えも踏まえ、班の新聞でまとめたたりしてもよいのでは?
・全員でお医者さんに聞きに行くのではなく、自分たちの周りの人は、家族などに聞いて、話し合った。
・自分の考えを言い合って、ノートに書いて、まとめて終わるようにしていた。

Q、なぜ児童A、Bに注目したのか?また、A児、B児はどういうふうなことを考えたと思われるのか?
・Aは、積極的だが、感覚的に話をしてしまう。資料とかかわりながら考えてほしい。
・Bは、比較的おとなしい子だった。単元を通して、自分の考えをクラスのみんなに発信してほしい。

Q、指導計画に「次時へ向けて」とある。児童からの疑問があり、次の疑問があり、学習につながってくることがいい流れだと思う。これは、先生が誘導したのか、児童から出てきたのか?
・自分たちで、自分のクラス、授業を教えられてではなく、なるべく自分たちで授業をつくってもらいたい。次の時間は自分たちで、何をやる必要があるのかを考えて進めてもらいたい。状況に合わせて、なかにはストップしたり、強引に進めていったりしたこともあった。
・曖昧さがあったため、子どもが混乱してしまう。あまりにもたくさんのことが入っていたため、もう少し明確にしたほうが良かったかもしれない。医療ネットワークという大きなものを出す前に、医療の仕組みを捉えさせなければならなかったのでは。次にやるとしたら、反省を踏まえて、どこをねらいとして、子どもたちにどういう効果を求めるのかをやっていければいいと思う。
・先生の思いがたくさん詰まった実践だった。ネットは、プライベートメディアと言われ、個が発信者となる。新聞は、組織として社会的な責任があって、言論の自由を守るといった意思が必要。子どもたちに教えることは難しいだろう。日本は哲学がないまま、個々にネットワークを使っているため、非常に曖昧で危険である。
・昔の図書室の扱い方というのは、まず百科事典を開いて、大枠を捉えて、興味のあるキーワードから深めていった。「横浜大空襲」のことを中学二年生が調べるとき、本の背表紙に「横浜大空襲」と書いていないと探せないという現実があった。また、子どもたちは、本の真ん中開け、目次を引かず、索引を見ない。今はインターネットがあるため、キーワードだけで探してしまう。探し方がピンポイントでないと調べられない。
・もっとゆったりと新聞や情報に触れていくといった、土台を作っていくような構えで取り組むといいかもしれない。忙しい中で、いろいろ詰め込んでやるのではなく、写真や雑誌の印象の違いなどを子どもたちがゆったりとおしゃべりするといった土台をすえないと、タイトな単元展開は難しいだろう。

 以上のようなやりとりがあった。

 山本先生は、子どもたちと向き合いながら、新聞を通して、子どもたちに情報とかかわってほしいという考えのもとで学習を行っていたように感じた。

 学習指導要領の型にはめ過ぎず、子どもたちに自由に新聞と触れ合わせることが、情報や人との触れ合いにもつながるのではないだろうか。こうした触れ合いが、これからも目まぐるしく動いていく社会にかかわる子どもたちにとって、社会のことを考えていくための大切な足場になるかもしれないと感じた。

 またNIEに関する様々な提案が交わされるNIEミーティングは、子どもたちと現代社会をつなぐための一助となる新聞の可能性について、自由に話し合える場なのだということを改めて感じた。