神奈川NIEミーティング

NIEミーティング議事録 2016年12月16日(金)

場所 神奈川新聞社
司会 村山正子(神奈川NIE推進委員会事務局)
記録 山口満 (横浜国立大学大学院)
内容
1.参加者による「本日の新聞」紹介
 部活動の休養週1日が5割、オスプレイ墜落、カジノ法成立、三浦の大根写真、日露首脳会談 等
2.日本NIE学会愛媛大会 相模原事件についての特別課題研究分科会 報告
 報告者
  赤池幹(神奈川県NIE推進協議会会長)
 村山正子(神奈川NIE推進委員会事務局)
3.本日の実践報告
  報告者
  日下里子(横浜市立浦島小学校)

日本NIE学会愛媛大会 相模原事件についての特別課題研究分科会 報告

 相模原事件では警察は被害者の実名を公表しなかったが、実名が公表されないということは、事件の真相に迫ることができないということである。そもそも実名を公表しないというのは、犯罪被害者の希望から行われるものであり、法的にも認められているものである。(犯罪被害者等基本計画2005年12月)しかし、そうすることが正しいのだろうか。私たちの知る権利や事件の真相に迫れないという問題をどうするのか。こうした問いを授業で扱うことができるのか。全国大会ではこのような問題提起をなされた。

 大会会場での意見(中学校の現職教員が多いグループ)としては、

「(中学校で取り上げることに対して)背景にある社会の差別や偏見、それにさらされる被害者家族の生活に思いが至らないのではないか。」

「話し合う前に、背景を勉強したり、本を読んだり、様々な障害者差別に関する本を読んだりしないと、迫れないのではないか。」

「相模原事件の新聞記事だけでは、“かわいそうですね”“実名報道がいいですね”といって、話し合いが深まらずに終わってしまうのではないか。」

といった意見だった。

 しかし、報告者からはこれまでの取材の経験では、遺族を取材し、遺族を説得して、納得してもらって実名報道すると、感謝された経験がある。「生きた証しとしてありがとう」と。また、次のような提案がなされた。つまり、個人である私が公人としての側面を持つということを高校生ならば理解できるのではないか。この問題は、是非逃げずに考えたい問題である。個人情報保護法は発表する側に都合が悪いものは出さない方向に利用される恐れもある。その方向に対して私たちはしっかり見ておくことが必要である。是非、学校の授業で取り上げる方法を考えていただきたい。

本日の実践報告

 NIE実践校としては2年目であるが、今年度初めてNIEに取り組まれた日下里子先生(横浜市立浦島小学校6年生担任)から実践報告をいただいた。

実践内容
・2・3種類の新聞を学年の廊下に設置。新聞が1か月分たまったら図書室へ移動。
・掲示をするときには子どもに飾りつけや題字を作ってもらって新聞に関心を持つきっかけとした。
・「総合的な学習の時間」を防災に関する学習に取り組んでいるため、地震や防災に関する記事をスクラップして掲示した。子どもたちも防災の記事に対しては関心を持ってくれる。しかし、新聞を切り抜いてしまうことに対して、これでよいのかという疑問も持っている。
・1月分たまったら気になる記事を紹介してもらうことにした。しかし、この方法だと時間が取れる月と取れない月ができてしまう。そこで、子どもが気になる記事をスクラップ記事にして好きなときに好きに伝えられるようスクラップを貼ることができる掲示板を設置した。何気ないときに子どもたちが掲示板に目を通す姿が見られ、その内容について友達同士で会話する姿勢が見られた。
・高学年は、教科担当制を導入している。理科の時間にスーパームーンの記事を利用して授業を行った。
・新聞置き場に関心を持つ子どもがやってきたときに学年の取り組みを広げるチャンスと思って広げてみた。
・タイを母国とする子どもが、「タイ ブミポン国王死去」の記事を持って帰り、スクラップ記事を作ってきた。そうした姿を見たまわりの児童が、その児童やタイについて理解しようとする姿が見られた。
・学校で残食ゼロの取り組みをしているが、新聞の小さな記事を見つけてもってきた。
実践者の迷い
・新聞を喜ぶ子どもは限られている。漢字が難しい。
・いつ新聞を読む時間をとるか。
・どうやって全校を巻き込むか。新聞の量も限られている中でどうやって広げるか。
・新聞を読むのに苦しんでいる子どもをどう支援すればよいか。漢字がわからない子どもには音読をしてあげることを何度もした。
質疑応答
Q.「切り抜く」とそれはもう新聞ではない・・・、という発言があったが、それはどういうことか。
A.「切り抜いて、設問を作って、印刷して、さあみなさん考えようは違うのではないか」という意味。記事には前後の文脈もあるということ。
Q.漢字の読み取りについて、タブレット等のアプリを活用してみてはどうか。高校生はスキャンしてすぐ調べる。スマホを出してやっている。
A1.小学校はそれが難しい。
→ 小中学校は義務制のため、授業で活用するならば、事前にすべてのアプリをチェックしなければならないし、すべての子どもが持っていないと不平等になってしまう。このような中で取り組まなければならない。
A2.そもそも小学生で新聞を読めるわけない。ざっくりと読むものと考えていってはどうか。
→ でも高校生ははっきりしないととても嫌がる。
→ 新聞は答えがないからいいのではないか。ワークショップを行ったときに学校の先生方に見出しを考えてもらうことをした。その時、先生方も答えを求めた。でも、答えがないのが新聞なのではないかと思う。

<以上の報告を踏まえて4グループで討議>

各グループでの討議内容
(1)大和市では全クラスに1紙入ることになった。新聞に触れる機会が高まることを期待している。
(2)読めない前提で活用していくことが大切ではないか。小学校1年生でも比べ読みができる。だいたいをつかみ感じることが大切。多様性や自分と他人が感じることの違いに気づかせたい。
(3)正解を求める子ども、すぐ「わかった、わかった」と言う早わかりの子どもはやはりいる。また、クラスの中での人間関係が意見を左右してしまうことがある。そのバイアスが入ってしまうと子どもは新聞を見ていない。どうすればいいかと思う。
(4)方法論に関心が向いた。生活の一部に新聞があるということを目指せればいいのではないか。

最後に

 重松先生から次のような発言があった。記事を通して、人と人をつなげていくことが大切ではないか。わからないといっている子どもは、まじめに新聞を読もうとしている。そういう子どもたちには、だいたいでいいと伝えてあげられたらと思う。

 今回の実践は“広げる”のではなくて、子どもと子ども、子どもと家庭を“つなげる”実践だった。「全校に広げる」とか「日常化しなければ」と思わなくていいのではないか。形だけ「全校でやる」では意味が変わってしまう。A子が「○○○」という意見を言えるようになったな、「○○○」と伝えようとしているな、という場面がでてきたことの方がいいのではないか。朝から晩まで新聞を読んでいる人はいない。新聞を読まないで、ネットですぐに答えを見つけようとしてしまう子どもが多い中で、ふと新聞をパラパラ見ているときに、友達とおしゃべりする感覚で「これ、どう思う」「この写真面白いね」という場面がでてくることがいいのではないか。

 赤池会長からは次のような発言があった。最近はNIB=社会人・ビジネスマンに新聞をというのがある。若い社員が企画書を書くことができないということが背景にあるようだ。

 学校は評価をつけなくてはいけないから大変だと思う。でも、評価をつけないと困る教師がいると聞く。答えを出す生徒は、答えの出し方を知っているだけであり、それよりも物事を一生懸命考えることが大切なはず。世間話ができる人間が大切なのではないか。